>産経の黒田氏みたいな
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/14 15:00 投稿番号: [732 / 8735]
黒田勝弘のソウルの風
第31回 サッカーではなく愛国を楽しんでいるW杯熱狂の舞台裏
本誌が読者の手に届くころには、ドイツでのサッカー・ワールドカップ(W杯)もたけなわだろう。4年前の大会は日韓共催だった。日本は決勝トーナメントに進出は出来たが、韓国は準決勝まで進み4位になった。韓国では今回も「四強の奇跡よ再び!」と開幕前から興奮状態だ。
ドイツ大会に触れる前に、4年前を振り返ってみる。あれは日韓共催だったはずだが、韓国では「共催」の印象は何も残っていない。記憶といえば、ひたすら「勝った!勝った!」のイメージと、街頭に繰り出した大群衆による「デーハミングック(大韓民国)!」の大声援と、愛国ムードだ。
結局、4年前の「日韓共催W杯」は日韓関係には何も残さなかったし、まして「日韓友情の記憶」などかけらもない。韓国では「ウリナラ(わが国)最高!」という、韓国人たちの自信満々のナショナリズムだけが残った。それは最近の竹島・独島問題における「日本何するものぞ!」につながっている。
ドイツ大会を前に、そして開幕後も確実にそうなるだろうが、韓国におけるW杯スローガンは「すべての国民が一つになって!」だ。ソウル市街のあちこちに、そんな文句が書かれた超大型垂れ幕が出ている。テレビのニュースキャスターやCMも繰り返しそういっているし、新聞広告にもその文句が躍っている。
ドイツ大会を前に、そして開幕後も確実にそうなるだろうが、韓国におけるW杯スローガンは「すべての国民が一つになって!」だ。ソウル市街のあちこちに、そんな文句が書かれた超大型垂れ幕が出ている。テレビのニュースキャスターやCMも繰り返しそういっているし、新聞広告にもその文句が躍っている。
そしてW杯で「すべての国民が一つになった」ことへの感激、感動。前回もそうだったが、今回も間違いなくそうだろう。
強豪ブラジルをはじめ、サッカー熱狂国は多い。しかし「すべての国民が一つになって!」をナショナル・スローガンとして叫び、そしてそれが実現したといって、自ら大いに感動するという国は珍しいだろう。
これはなぜなんだ。なぜ「すべての国民が一つに」ならなければならないのだろうか。また「一つになった」といってなぜ感動、感激するのだろうか。
これは察するに、日ごろ韓国国民は、必ずしも国民としての一体感がないためかもしれない。日ごろみんなバラバラなので、W杯を機会に一つにまとめよう、まとまりたいということかもしれない。
識者に聞くと、韓国人は与野、左右、保革など政治的対立をはじめ、世代、階層、貧富、地域、その他、対立や分裂ばかりで、日ごろから自分たちにイヤ気がさしている。下世話にいえばお互い虎視眈々、足の引っ張り合いという嫉妬社会のため、一体感に欠ける。そこでことのほか、「一つになる」ことにあこがれ、感動するのだという。
だとえば今回のドイツW杯は、ちょうど与野が激しく争った統一地方選の直後である。選挙では野党の女性党首が、遊説中に顔をひどく切られる政治テロ(?)まで起きている。「みんなが一つに」になれるW杯は、韓国国民にとっては”癒しの一大イベント”というわけだ。そう見れば、あの世界に冠たる”W杯熱狂”も理解できるということか。
一方、ドイツ大会開幕の前、英国のBBCが韓国サッカーについて論評した内容が、韓国マスコミに紹介されていた。「韓国サッカーは民族主義と混合しており、国内では依然、プロサッカーは発展せず観衆もいない。人びとの関心は、ひたすら国家代表チームの戦いだ」という。
つまり人びとはサッカーを楽しんでいるのではなく”愛国”を楽しんでいるというわけだ。なるほど、だから韓国ではW杯出場の選手たちは、「太極戦士」と呼ばれるわけだ。「太極」は国旗の「太極旗」からきているから、日本でいえば「日の丸戦士」である。
韓国の識者も「サッカーの本質はカタルシス(浄化?)だ。国際、国内的葛藤の代理戦争だ。このような代理性の原則に最も忠実な国が韓国である」(5月24日付、韓国日報コラムから)といっている。とすると、これまで日本があまり勝てなかったのは国際、国内的葛藤がなかったせいかな。
SAPIO6月28日号76ページ
第31回 サッカーではなく愛国を楽しんでいるW杯熱狂の舞台裏
本誌が読者の手に届くころには、ドイツでのサッカー・ワールドカップ(W杯)もたけなわだろう。4年前の大会は日韓共催だった。日本は決勝トーナメントに進出は出来たが、韓国は準決勝まで進み4位になった。韓国では今回も「四強の奇跡よ再び!」と開幕前から興奮状態だ。
ドイツ大会に触れる前に、4年前を振り返ってみる。あれは日韓共催だったはずだが、韓国では「共催」の印象は何も残っていない。記憶といえば、ひたすら「勝った!勝った!」のイメージと、街頭に繰り出した大群衆による「デーハミングック(大韓民国)!」の大声援と、愛国ムードだ。
結局、4年前の「日韓共催W杯」は日韓関係には何も残さなかったし、まして「日韓友情の記憶」などかけらもない。韓国では「ウリナラ(わが国)最高!」という、韓国人たちの自信満々のナショナリズムだけが残った。それは最近の竹島・独島問題における「日本何するものぞ!」につながっている。
ドイツ大会を前に、そして開幕後も確実にそうなるだろうが、韓国におけるW杯スローガンは「すべての国民が一つになって!」だ。ソウル市街のあちこちに、そんな文句が書かれた超大型垂れ幕が出ている。テレビのニュースキャスターやCMも繰り返しそういっているし、新聞広告にもその文句が躍っている。
ドイツ大会を前に、そして開幕後も確実にそうなるだろうが、韓国におけるW杯スローガンは「すべての国民が一つになって!」だ。ソウル市街のあちこちに、そんな文句が書かれた超大型垂れ幕が出ている。テレビのニュースキャスターやCMも繰り返しそういっているし、新聞広告にもその文句が躍っている。
そしてW杯で「すべての国民が一つになった」ことへの感激、感動。前回もそうだったが、今回も間違いなくそうだろう。
強豪ブラジルをはじめ、サッカー熱狂国は多い。しかし「すべての国民が一つになって!」をナショナル・スローガンとして叫び、そしてそれが実現したといって、自ら大いに感動するという国は珍しいだろう。
これはなぜなんだ。なぜ「すべての国民が一つに」ならなければならないのだろうか。また「一つになった」といってなぜ感動、感激するのだろうか。
これは察するに、日ごろ韓国国民は、必ずしも国民としての一体感がないためかもしれない。日ごろみんなバラバラなので、W杯を機会に一つにまとめよう、まとまりたいということかもしれない。
識者に聞くと、韓国人は与野、左右、保革など政治的対立をはじめ、世代、階層、貧富、地域、その他、対立や分裂ばかりで、日ごろから自分たちにイヤ気がさしている。下世話にいえばお互い虎視眈々、足の引っ張り合いという嫉妬社会のため、一体感に欠ける。そこでことのほか、「一つになる」ことにあこがれ、感動するのだという。
だとえば今回のドイツW杯は、ちょうど与野が激しく争った統一地方選の直後である。選挙では野党の女性党首が、遊説中に顔をひどく切られる政治テロ(?)まで起きている。「みんなが一つに」になれるW杯は、韓国国民にとっては”癒しの一大イベント”というわけだ。そう見れば、あの世界に冠たる”W杯熱狂”も理解できるということか。
一方、ドイツ大会開幕の前、英国のBBCが韓国サッカーについて論評した内容が、韓国マスコミに紹介されていた。「韓国サッカーは民族主義と混合しており、国内では依然、プロサッカーは発展せず観衆もいない。人びとの関心は、ひたすら国家代表チームの戦いだ」という。
つまり人びとはサッカーを楽しんでいるのではなく”愛国”を楽しんでいるというわけだ。なるほど、だから韓国ではW杯出場の選手たちは、「太極戦士」と呼ばれるわけだ。「太極」は国旗の「太極旗」からきているから、日本でいえば「日の丸戦士」である。
韓国の識者も「サッカーの本質はカタルシス(浄化?)だ。国際、国内的葛藤の代理戦争だ。このような代理性の原則に最も忠実な国が韓国である」(5月24日付、韓国日報コラムから)といっている。とすると、これまで日本があまり勝てなかったのは国際、国内的葛藤がなかったせいかな。
SAPIO6月28日号76ページ
これは メッセージ 730 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9qa59a5dda1bca5d_1/732.html