続きだ。
投稿者: except_chon 投稿日時: 2009/11/12 20:24 投稿番号: [6102 / 8735]
また最近はメディア法に対する憲法裁判所の決定について、各種のマスコミが問題点に反論、戯画化したことがあった。それに関する内容の分析はすでに十分あったから、ここで改めて指摘したい考えはない。しかし、当時もある人が憲法裁判所の決定を批判する際「レイプはしたものの、妊娠は有効だというのも同然」という表現を使っていたのを覚えている。その批判の内容を離れ「数多い表現の中から、なぜそんな話し方?」という気がした。人権を叫んでいながら、女権や傷つけられた人への配慮が足りない人々を見ていると、それらの人権への真意についても疑念を抱くようになるのだ。
一時、残酷な児童性暴行への軽すぎる処罰をめぐり、激しい議論が展開された。そのころは連日、類似事件の報道が相次ぎ、国民に、性暴行問題への警戒心を植えつけていた。ところがその時も、報道や記事の内容を離れ、その見出しとして「家族が見る前でひどいこと」「娘を性のなぶりものに」「江南(カンナム)の女性だけ選んで性暴行」「野獣に急変したパパのおかしな愛情表現」といった表現が目障りだった記憶がある。性暴行犯罪者の蛮行に怒ったものの、むしろそうした異常な見出しへの不満がより強まった。社会的な批判や警戒心を高めるため、赤裸々な報道や糾弾が機能しているのかもしれないが、方法にともなう副作用も考えねばならないだろう。だからドラマや報道番組の再現シーンが「犯罪学校」になっているという批判を受けることもあるのだ。
実は「元官僚への礼遇」という言葉も、長い間法曹界にいながらも最初はよく知らない言葉だった。ところが、およそ10年前に特定事件が問題化した後、マスコミの大々的な批判によりむしろ広報効果があったせいか、今やほぼすべての人が、弁護士の実力よりは裁判所とのネットワークを中心に選任を決めるのが大きな流れとなっているのを見る。
社会的な問題や病理現象に対しては、静かながらも持続的かつ断固とした懲戒が効果的なのであって、騒がしい批判や扇情的な見出しという方法は、むしろそれを学習させ、問題の方向を歪曲させる副作用を作り出すこともあるのだ。大半の問題で、「真実性があり、おもしろく、批判意識を盛り込んだ内容」そのものは非常に重要である。しかし、その表現や伝え方も役割が大きい。もちろん究極的な選択は国民のものだ。悪口を言っても、下品な言葉遣いをしても、見苦しい見出しをつけても、人気があり、それに関する問題提起がないならば、そうしたことは消えにくくなるだろう。
キム・ヨンヘ弁護士
h tt p: / /japanese.joins.c o m /art icle/article.php?aid=122660&serv code=100§ code=100
> 社会的な問題や病理現象に対しては、静かながらも持続的かつ断固とした懲戒が効果的なのであって、騒がしい批判や扇情的な見出しという方法は、むしろそれを学習させ、問題の方向を歪曲させる副作用を作り出すこともあるのだ。大半の問題で、「真実性があり、おもしろく、批判意識を盛り込んだ内容」そのものは非常に重要である。しかし、その表現や伝え方も役割が大きい。もちろん究極的な選択は国民のものだ。悪口を言っても、下品な言葉遣いをしても、見苦しい見出しをつけても、人気があり、それに関する問題提起がないならば、そうしたことは消えにくくなるだろう。
それが出来りゃチョンじゃねぇつーの。
一時、残酷な児童性暴行への軽すぎる処罰をめぐり、激しい議論が展開された。そのころは連日、類似事件の報道が相次ぎ、国民に、性暴行問題への警戒心を植えつけていた。ところがその時も、報道や記事の内容を離れ、その見出しとして「家族が見る前でひどいこと」「娘を性のなぶりものに」「江南(カンナム)の女性だけ選んで性暴行」「野獣に急変したパパのおかしな愛情表現」といった表現が目障りだった記憶がある。性暴行犯罪者の蛮行に怒ったものの、むしろそうした異常な見出しへの不満がより強まった。社会的な批判や警戒心を高めるため、赤裸々な報道や糾弾が機能しているのかもしれないが、方法にともなう副作用も考えねばならないだろう。だからドラマや報道番組の再現シーンが「犯罪学校」になっているという批判を受けることもあるのだ。
実は「元官僚への礼遇」という言葉も、長い間法曹界にいながらも最初はよく知らない言葉だった。ところが、およそ10年前に特定事件が問題化した後、マスコミの大々的な批判によりむしろ広報効果があったせいか、今やほぼすべての人が、弁護士の実力よりは裁判所とのネットワークを中心に選任を決めるのが大きな流れとなっているのを見る。
社会的な問題や病理現象に対しては、静かながらも持続的かつ断固とした懲戒が効果的なのであって、騒がしい批判や扇情的な見出しという方法は、むしろそれを学習させ、問題の方向を歪曲させる副作用を作り出すこともあるのだ。大半の問題で、「真実性があり、おもしろく、批判意識を盛り込んだ内容」そのものは非常に重要である。しかし、その表現や伝え方も役割が大きい。もちろん究極的な選択は国民のものだ。悪口を言っても、下品な言葉遣いをしても、見苦しい見出しをつけても、人気があり、それに関する問題提起がないならば、そうしたことは消えにくくなるだろう。
キム・ヨンヘ弁護士
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> 社会的な問題や病理現象に対しては、静かながらも持続的かつ断固とした懲戒が効果的なのであって、騒がしい批判や扇情的な見出しという方法は、むしろそれを学習させ、問題の方向を歪曲させる副作用を作り出すこともあるのだ。大半の問題で、「真実性があり、おもしろく、批判意識を盛り込んだ内容」そのものは非常に重要である。しかし、その表現や伝え方も役割が大きい。もちろん究極的な選択は国民のものだ。悪口を言っても、下品な言葉遣いをしても、見苦しい見出しをつけても、人気があり、それに関する問題提起がないならば、そうしたことは消えにくくなるだろう。
それが出来りゃチョンじゃねぇつーの。
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