【便茶】タイム誌に選ばれたニダ!【起業】
投稿者: wbc_champion2006 投稿日時: 2008/05/06 20:34 投稿番号: [1433 / 4080]
>タイム誌の‘……100人’
毎年 ワ−ルドスタァ(笑)の“一円”がTOP3内にランクインするやつだろ。
マルチタッチスクリーンなんて既に一般化している。
何処がスゴイのか分からないのに選ばれるところがスゴイ!!
この一家、チョソには帰っていないというし、この先“アジア系”米国人として生きていくんだろうなぁ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
《父が問題児を科学者に育てた》
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99648&servcode=400§code=420
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99649&servcode=400§code=420
中央日報(2008.05.06 14:31:38)
大型マルチタッチスクリーンを開発し、タイム誌の‘2008年世界で最も影響力のある人物100人’に選ばれたジェフ・ハンさん(32、韓国名ジェシク)には何か特別なものがある。 米ニューヨーク・マンハッタンのチェルシー地域にあるハンさんの会社‘パセプティス・ピクセル’を訪れたが、職員10人のうち営業担当の1人を除いた9人が研究員だった。
3日(現地時間)、同社の事務所でハンさんに会った。 驚くことにハンさんは幼い頃から親をかなり困らせてきた‘問題児’だったという。 そしてハンさんの後ろには、そのような子どもを私立英才学校に転校させ、事業のために名門コーネル大を中退するという息子の決定を尊重してくれた父がいた。
−私立英才学校のダルトンスクールを通った。
「地域の公立学校に入った自分は問題の多い子どもだった。 1年のときに6年の試験をパスするほど数学分野に才能があったが、画一的な授業方式に適応できず、いつも別のことをしていたため、学校を何度も転校することになった。 父は小学4年から私をマンハッタンのアッパーイーストサイドにあるダルトンスクールに送った。 1919年に設立され、全校生1300人に英才教育をする学校だ」
−コーネル大を中退したが。
「ダルトンスクールで高校課程まで終えた後、コーネル大に入学し、電気工学とコンピュータ工学を専攻した。 しかし大学3年だった96年、ロサンゼルスのインターネット業者からビジネスを一緒にしようという提案を受け、学業を中断した。 私が持っていたビデオ画像技術でこの会社は、最初20人余だった職員が数年後にはおよそ2000人に増えるほど成長した。 しかしインターネット事業は私が目指していた分野ではなかった。 それで6年後にやめてニューヨーク大(NYU)の研究員となり、ロサンゼルスで貯めた資金でマルチタッチスクリーン業者も創業した」
−大学をやめてビジネスをすることに親は反対しなかったのか。
「父は‘家族はみんなジェフの決定を尊重し、信じている’と励ましてくれた。 父は69年に同じ留学生だった母に会い、結婚した。 普段から‘一つを知れば2つを知るように努力しろ’と話していた。 また‘何かを説明するときは必ず絵を描いて説明しろ’と言われていた。 この言葉はマルチタッチスクリーンの開発に大いに役立った。 20年間、デリー(食料品店)を経営しながら子どもを育ててきたが、6年前に引退した。 父は留学に来た後、一度も韓国に帰っていない。 韓国に直系の家族はなく、ソウルと釜山(プサン)にいとこが住んでいる」。
−家族関係は。
(略)
−韓国人社会の関心が大きい。
「韓国人は子どもの教育が最も大きな仕事だ。 しかし創意的な教育に欠けるのが残念だ。 子どもが希望する分野を自ら見つけるよう手助けして激励すればいいと思う。 顔が広く知られてから、青少年が‘自分もこういう仕事をしたい’ということを電子メールで送ってくる。 私は彼らに‘無条件に数学を熱心に勉強しろ’とアドバイスしている。 科学分野に進出したいのなら芸術の勉強も必須となる。 創意力を兼ね備えるのに役立つ。 有能な科学者は一般人とうまくコミュニケーションをする。 どんなに画期的な技術でも、一般人が理解して活用できなければ商用化・大衆化は不可能だ。 それは良い科学者とはいえない」
−タイム誌の100人に選ばれた。
「全く知らなかった。 タイム誌から研究成果と写真の要請を受けたので送っただけ。自分も驚いた」
−事業とニューヨーク大研究員を並行している。
「大学の研究所は先端技術の源泉だ。 ずっと研究を続けて先端技術に接していたい。 この機会にずっと学業を続けろという人もいる
毎年 ワ−ルドスタァ(笑)の“一円”がTOP3内にランクインするやつだろ。
マルチタッチスクリーンなんて既に一般化している。
何処がスゴイのか分からないのに選ばれるところがスゴイ!!
この一家、チョソには帰っていないというし、この先“アジア系”米国人として生きていくんだろうなぁ。
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《父が問題児を科学者に育てた》
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99648&servcode=400§code=420
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99649&servcode=400§code=420
中央日報(2008.05.06 14:31:38)
大型マルチタッチスクリーンを開発し、タイム誌の‘2008年世界で最も影響力のある人物100人’に選ばれたジェフ・ハンさん(32、韓国名ジェシク)には何か特別なものがある。 米ニューヨーク・マンハッタンのチェルシー地域にあるハンさんの会社‘パセプティス・ピクセル’を訪れたが、職員10人のうち営業担当の1人を除いた9人が研究員だった。
3日(現地時間)、同社の事務所でハンさんに会った。 驚くことにハンさんは幼い頃から親をかなり困らせてきた‘問題児’だったという。 そしてハンさんの後ろには、そのような子どもを私立英才学校に転校させ、事業のために名門コーネル大を中退するという息子の決定を尊重してくれた父がいた。
−私立英才学校のダルトンスクールを通った。
「地域の公立学校に入った自分は問題の多い子どもだった。 1年のときに6年の試験をパスするほど数学分野に才能があったが、画一的な授業方式に適応できず、いつも別のことをしていたため、学校を何度も転校することになった。 父は小学4年から私をマンハッタンのアッパーイーストサイドにあるダルトンスクールに送った。 1919年に設立され、全校生1300人に英才教育をする学校だ」
−コーネル大を中退したが。
「ダルトンスクールで高校課程まで終えた後、コーネル大に入学し、電気工学とコンピュータ工学を専攻した。 しかし大学3年だった96年、ロサンゼルスのインターネット業者からビジネスを一緒にしようという提案を受け、学業を中断した。 私が持っていたビデオ画像技術でこの会社は、最初20人余だった職員が数年後にはおよそ2000人に増えるほど成長した。 しかしインターネット事業は私が目指していた分野ではなかった。 それで6年後にやめてニューヨーク大(NYU)の研究員となり、ロサンゼルスで貯めた資金でマルチタッチスクリーン業者も創業した」
−大学をやめてビジネスをすることに親は反対しなかったのか。
「父は‘家族はみんなジェフの決定を尊重し、信じている’と励ましてくれた。 父は69年に同じ留学生だった母に会い、結婚した。 普段から‘一つを知れば2つを知るように努力しろ’と話していた。 また‘何かを説明するときは必ず絵を描いて説明しろ’と言われていた。 この言葉はマルチタッチスクリーンの開発に大いに役立った。 20年間、デリー(食料品店)を経営しながら子どもを育ててきたが、6年前に引退した。 父は留学に来た後、一度も韓国に帰っていない。 韓国に直系の家族はなく、ソウルと釜山(プサン)にいとこが住んでいる」。
−家族関係は。
(略)
−韓国人社会の関心が大きい。
「韓国人は子どもの教育が最も大きな仕事だ。 しかし創意的な教育に欠けるのが残念だ。 子どもが希望する分野を自ら見つけるよう手助けして激励すればいいと思う。 顔が広く知られてから、青少年が‘自分もこういう仕事をしたい’ということを電子メールで送ってくる。 私は彼らに‘無条件に数学を熱心に勉強しろ’とアドバイスしている。 科学分野に進出したいのなら芸術の勉強も必須となる。 創意力を兼ね備えるのに役立つ。 有能な科学者は一般人とうまくコミュニケーションをする。 どんなに画期的な技術でも、一般人が理解して活用できなければ商用化・大衆化は不可能だ。 それは良い科学者とはいえない」
−タイム誌の100人に選ばれた。
「全く知らなかった。 タイム誌から研究成果と写真の要請を受けたので送っただけ。自分も驚いた」
−事業とニューヨーク大研究員を並行している。
「大学の研究所は先端技術の源泉だ。 ずっと研究を続けて先端技術に接していたい。 この機会にずっと学業を続けろという人もいる
これは メッセージ 1432 (wbc_champion2006 さん)への返信です.
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