世界4大ファッションショーの舞台に立つ
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2008/02/04 13:25 投稿番号: [1192 / 4080]
韓国人男性モデル
東洋人の男性モデルを敬遠してきた世界のファッション界。その門戸を韓国人の男性モデルが開いた。彼の名はデビュー2年目のキム・ヨングァンさん(21)。キムさんは今年1月下旬、世界4大ファッションショーの舞台のひとつ「ミラノコレクション」で、アレキサンダー・マックイーン、 ヴィヴィアン・ウエストウッド、エトロの舞台に立ち注目を浴びた。これまでヘバク、ハン・ヘジン、キム・ダウルなど韓国人女性モデルがモデルになったことはあるが、韓国人の男性モデルが世界4大ファッションショーの舞台に立ったのは初めて。
ファッション誌『GQ』編集長でイタリアファッション界の大物、アンドレア・モンティ氏が「北ヨーロッパ型の完璧な体型と顔のライン、ヨーロッパ人に好まれる魅力的な目」と手放しの褒めたという9頭身の体(187センチ70キロ)と長い手足の持ち主。
「高校のときに身長が急に30センチも伸び、その時からモデルになろうかと思うようになりました。家が貧しく、中学生のころから生活費を自分で稼がなければならなかったのです」。キムさんの父はベトナム戦争の参戦軍人だ。国家有功者として認められたが、戦争の時に受けた傷で、キムさんが小学生のときにこの世を去った。このためキムさんは早くから自分で生活費を稼がなければならなかった。「05年の冬、知り合いの先輩に“頭のモデル”をしてくれたらモデル料を支払うと誘われ、撮影所に行きました。その時に現在の企画会社の社長と出会いました。最初は韓国のデザイナーにも相手にもされませんでした」
そんなキムさんがどうやってこんなに大きなチャンスをつかむようになったのか。モデルの仕事が気に入ったキムさんは、当たって砕けろの精神で世界の舞台に飛び込んだという。「今考えると無謀だったと思います。ミラノとパリのモデルエージェンシーに電子メールで僕のプロフィールと写真をとにかく送りました。そしてその二つのエージェンシーから返事が来たのです!」
キムさんはこのうちミラノを選んだ。その時キムさんはミラノに行きさえすれば夢は叶うと思っていたが、現実はそれほど甘くなかった。デザイナーやキャスティングディレクターたちの門前払いが続いた。1日中サンドイッチ1つだけを食べて町中を歩き回りながら、あちこちのエージェンシーのドアを叩いた。「そんな時、 ヴィヴィアン・ウエストウッド側から連絡が来たんです。紳士服はヴィヴィアン・ウエストウッドさんの夫がデザインしているのですが、しかめ面をしていてとても怖かった。でもショーが終わった後に僕のことをギュッと抱きしめてくれました」
アレキサンダー・マックイーンのショーではショーディレクターのミスにより、最高のモデルが担当するフィナーレをキムさんが飾るという幸運に恵まれた。このためキムさんは一気にマックイーンの“お気に入り”のモデルとして注目を浴びるようになった。
「モデルを芸能人になるためのステップと思う人が多いような気がします。そんな考え方が早くなくなってほしい。最高のモデルになるようこれからも一生懸命努力します」
チェ・ボユン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20080203000023
東洋人の男性モデルを敬遠してきた世界のファッション界。その門戸を韓国人の男性モデルが開いた。彼の名はデビュー2年目のキム・ヨングァンさん(21)。キムさんは今年1月下旬、世界4大ファッションショーの舞台のひとつ「ミラノコレクション」で、アレキサンダー・マックイーン、 ヴィヴィアン・ウエストウッド、エトロの舞台に立ち注目を浴びた。これまでヘバク、ハン・ヘジン、キム・ダウルなど韓国人女性モデルがモデルになったことはあるが、韓国人の男性モデルが世界4大ファッションショーの舞台に立ったのは初めて。
ファッション誌『GQ』編集長でイタリアファッション界の大物、アンドレア・モンティ氏が「北ヨーロッパ型の完璧な体型と顔のライン、ヨーロッパ人に好まれる魅力的な目」と手放しの褒めたという9頭身の体(187センチ70キロ)と長い手足の持ち主。
「高校のときに身長が急に30センチも伸び、その時からモデルになろうかと思うようになりました。家が貧しく、中学生のころから生活費を自分で稼がなければならなかったのです」。キムさんの父はベトナム戦争の参戦軍人だ。国家有功者として認められたが、戦争の時に受けた傷で、キムさんが小学生のときにこの世を去った。このためキムさんは早くから自分で生活費を稼がなければならなかった。「05年の冬、知り合いの先輩に“頭のモデル”をしてくれたらモデル料を支払うと誘われ、撮影所に行きました。その時に現在の企画会社の社長と出会いました。最初は韓国のデザイナーにも相手にもされませんでした」
そんなキムさんがどうやってこんなに大きなチャンスをつかむようになったのか。モデルの仕事が気に入ったキムさんは、当たって砕けろの精神で世界の舞台に飛び込んだという。「今考えると無謀だったと思います。ミラノとパリのモデルエージェンシーに電子メールで僕のプロフィールと写真をとにかく送りました。そしてその二つのエージェンシーから返事が来たのです!」
キムさんはこのうちミラノを選んだ。その時キムさんはミラノに行きさえすれば夢は叶うと思っていたが、現実はそれほど甘くなかった。デザイナーやキャスティングディレクターたちの門前払いが続いた。1日中サンドイッチ1つだけを食べて町中を歩き回りながら、あちこちのエージェンシーのドアを叩いた。「そんな時、 ヴィヴィアン・ウエストウッド側から連絡が来たんです。紳士服はヴィヴィアン・ウエストウッドさんの夫がデザインしているのですが、しかめ面をしていてとても怖かった。でもショーが終わった後に僕のことをギュッと抱きしめてくれました」
アレキサンダー・マックイーンのショーではショーディレクターのミスにより、最高のモデルが担当するフィナーレをキムさんが飾るという幸運に恵まれた。このためキムさんは一気にマックイーンの“お気に入り”のモデルとして注目を浴びるようになった。
「モデルを芸能人になるためのステップと思う人が多いような気がします。そんな考え方が早くなくなってほしい。最高のモデルになるようこれからも一生懸命努力します」
チェ・ボユン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20080203000023
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