金栄作教授、
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2006/11/15 22:59 投稿番号: [32411 / 38959]
日本政府から旭日中綬章を受章
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061115-00000021-yonh-kr
日帝強制占領期間の朝鮮は、『欲望の植民地』〜高麗大学術大会
【日帝殖民統治に順応した個人の、日常の虚栄と欲望をどの様に見るか】
10,11日、高麗大学の仁村紀念館で開催された『歴史問題研究所の創立20周年記念学術大会〜植民地近代
を暮す』で、発表者達は『教育』・『就業』というテーマを通じ、植民地を背景に生きた個人の日頃の欲望が、
どのように日帝の殖民統治と結合していたのかを追跡した。
○『経済的欲望の追求を通じた協力』
国史編纂委員会のチョン・ビョンウク研究員は、発表文の『朝鮮殖産銀行員、植民地を住む』で、典型的な
ホワイトカラーだった朝鮮殖産銀行員11人の記録を通じて、社会的な成功へ向けた個人の欲望と虚栄心が、
植民地の経済秩序をどのように支えさせていたのか見せた。
「私は少しも怖くない、何故ここにまで来たのか…」
1927年、朝鮮を震撼させた羅錫疇(ナ・ソクチュ)の朝鮮殖産銀行爆弾投てき事件の直後、当時の行員ワン・
チァンオプが残した記録である。ワン・チァンオプにとって民族独立の重要性は自分の経歴管理よりも重要
ではなかった。
そうかと思えば、日帝の無断統治が極まり3・1運動が起きる直前の1918年10月、行員のシン・ギョンジェが
残した日記には、「月給が上がってとても嬉しい…三島銀行長を含めた取締役に、感謝の念を禁じ得ない」
となっている。
回顧録や男性雑誌の寄稿文などに現われた人々の共通点は、「思想よりも就職」、「民族よりも月給」である。
チョン研究員は、「一般的な朝鮮人よりもましな生活をした人々は、『他人とは違う』と言う個人的な虚栄と満足
の為に、民族よりも日本人行員との同質的な紐帯感が更に強かった」と指摘した。
代表的な例が、1945年の敗戦直後に韓国人行員の関与で行われた、日本人指導部の資金流用。これは
独立国家の物的基礎を脆弱にさせた要因として作用した。
行員のチェ・ビョンイルは1945年の春、「敗北が近づいて来ると、英字新聞で英語の勉強する朝鮮の行員達
が居る」と記録した。欲望の対象が敗戦を控えた日本から戦勝国のアメリカに向けられていた。
○『教育的欲望に通じた順応』
ソウル大学国史学科のイ・ギフン講師は、『植民地の学校空間の形成と変化』という発表文で、日帝強制占領
期間の普通学校(初等学校の旧称)制度の定着過程を通じ、朝鮮民衆の殖民支配への順応現象を分析した。
1912年、朝鮮人の普通学校の就学率は2.1%に過ぎなかったが、1940年には41.6%と極端に増えた。
日帝の要求する人間型の養成所と同時に、政策広報の手段である普通学校の進学率の上昇は、近代教育を
受けなければ生存に脅威を受けるほか無い、一般民衆の厳しい生と繋がれていた。すなわち下層部は、
上層部よりも積極的に変化に対処しなければならなかった。
「どうすれば私も学校に通えるのか。どうすれば勉強をする事が出来るのか」
1920年代のある少年雑誌に載せられたこの文は、上級学校に進学出来ない自分の心境を嘆いた内容である。
社会の上昇手段である教育に対する欲望は、差別を受ける植民地の朝鮮人に親日と反日の価値として分け
られない対象だった。
このように追従に近い教育ブームは、現実に対する自覚よりも無批判的な皇国臣民を作る事に関与した。
イ氏は、解放当時まで進学が出来ない朝鮮の学生が更に多く、それに対する『劣等感』として作用しながら、
殖民統治の階級構造が合理化される結果をもたらしたと指摘した。
○『教育的欲望に通じた順応』
ソウル大学国史学科のイ・ギフン講師は、『植民地の学校空間の形成と変化』という発表文で、日帝強制占領
期間の普通学校(初等学校の旧称)制度の定着過程を通じ、朝鮮民衆の殖民支配への順応現象を分析した。
1912年、朝鮮人の普通学校の就学率は2.1%に過ぎなかったが、1940年には41.6%と極端に増えた。
日帝の要求する人間型の養成所と同時に、政策広報の手段である普通学校の進学率の上昇は、近代教育を
受けなければ生存に脅威を受けるほか無い、一般民衆の厳しい生と繋がれていた。すなわち下層部は、
上層部よりも積極的に変化に対処しなければならなかった。
「どうすれば私も学校に通えるのか。どうすれば勉強をする事が出来るのか」
1920年代のある少年雑誌に載せられたこの文は、上級学校に進学出来ない自分の心境を嘆いた内容である。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061115-00000021-yonh-kr
日帝強制占領期間の朝鮮は、『欲望の植民地』〜高麗大学術大会
【日帝殖民統治に順応した個人の、日常の虚栄と欲望をどの様に見るか】
10,11日、高麗大学の仁村紀念館で開催された『歴史問題研究所の創立20周年記念学術大会〜植民地近代
を暮す』で、発表者達は『教育』・『就業』というテーマを通じ、植民地を背景に生きた個人の日頃の欲望が、
どのように日帝の殖民統治と結合していたのかを追跡した。
○『経済的欲望の追求を通じた協力』
国史編纂委員会のチョン・ビョンウク研究員は、発表文の『朝鮮殖産銀行員、植民地を住む』で、典型的な
ホワイトカラーだった朝鮮殖産銀行員11人の記録を通じて、社会的な成功へ向けた個人の欲望と虚栄心が、
植民地の経済秩序をどのように支えさせていたのか見せた。
「私は少しも怖くない、何故ここにまで来たのか…」
1927年、朝鮮を震撼させた羅錫疇(ナ・ソクチュ)の朝鮮殖産銀行爆弾投てき事件の直後、当時の行員ワン・
チァンオプが残した記録である。ワン・チァンオプにとって民族独立の重要性は自分の経歴管理よりも重要
ではなかった。
そうかと思えば、日帝の無断統治が極まり3・1運動が起きる直前の1918年10月、行員のシン・ギョンジェが
残した日記には、「月給が上がってとても嬉しい…三島銀行長を含めた取締役に、感謝の念を禁じ得ない」
となっている。
回顧録や男性雑誌の寄稿文などに現われた人々の共通点は、「思想よりも就職」、「民族よりも月給」である。
チョン研究員は、「一般的な朝鮮人よりもましな生活をした人々は、『他人とは違う』と言う個人的な虚栄と満足
の為に、民族よりも日本人行員との同質的な紐帯感が更に強かった」と指摘した。
代表的な例が、1945年の敗戦直後に韓国人行員の関与で行われた、日本人指導部の資金流用。これは
独立国家の物的基礎を脆弱にさせた要因として作用した。
行員のチェ・ビョンイルは1945年の春、「敗北が近づいて来ると、英字新聞で英語の勉強する朝鮮の行員達
が居る」と記録した。欲望の対象が敗戦を控えた日本から戦勝国のアメリカに向けられていた。
○『教育的欲望に通じた順応』
ソウル大学国史学科のイ・ギフン講師は、『植民地の学校空間の形成と変化』という発表文で、日帝強制占領
期間の普通学校(初等学校の旧称)制度の定着過程を通じ、朝鮮民衆の殖民支配への順応現象を分析した。
1912年、朝鮮人の普通学校の就学率は2.1%に過ぎなかったが、1940年には41.6%と極端に増えた。
日帝の要求する人間型の養成所と同時に、政策広報の手段である普通学校の進学率の上昇は、近代教育を
受けなければ生存に脅威を受けるほか無い、一般民衆の厳しい生と繋がれていた。すなわち下層部は、
上層部よりも積極的に変化に対処しなければならなかった。
「どうすれば私も学校に通えるのか。どうすれば勉強をする事が出来るのか」
1920年代のある少年雑誌に載せられたこの文は、上級学校に進学出来ない自分の心境を嘆いた内容である。
社会の上昇手段である教育に対する欲望は、差別を受ける植民地の朝鮮人に親日と反日の価値として分け
られない対象だった。
このように追従に近い教育ブームは、現実に対する自覚よりも無批判的な皇国臣民を作る事に関与した。
イ氏は、解放当時まで進学が出来ない朝鮮の学生が更に多く、それに対する『劣等感』として作用しながら、
殖民統治の階級構造が合理化される結果をもたらしたと指摘した。
○『教育的欲望に通じた順応』
ソウル大学国史学科のイ・ギフン講師は、『植民地の学校空間の形成と変化』という発表文で、日帝強制占領
期間の普通学校(初等学校の旧称)制度の定着過程を通じ、朝鮮民衆の殖民支配への順応現象を分析した。
1912年、朝鮮人の普通学校の就学率は2.1%に過ぎなかったが、1940年には41.6%と極端に増えた。
日帝の要求する人間型の養成所と同時に、政策広報の手段である普通学校の進学率の上昇は、近代教育を
受けなければ生存に脅威を受けるほか無い、一般民衆の厳しい生と繋がれていた。すなわち下層部は、
上層部よりも積極的に変化に対処しなければならなかった。
「どうすれば私も学校に通えるのか。どうすれば勉強をする事が出来るのか」
1920年代のある少年雑誌に載せられたこの文は、上級学校に進学出来ない自分の心境を嘆いた内容である。