参考
投稿者: I_LoveBakaChons 投稿日時: 2001/07/23 19:13 投稿番号: [1330 / 38959]
三菱
零式艦上戦闘機二一型(A6Mb)
言わずと知れた帝国日本海軍の艦上戦闘機。九六式艦上戦闘機の後継機を得るべく海軍が三菱に開発を指示したもので、三菱では九六艦戦と同じく堀越次郎技師を主任設計技師として開発を行なった。海軍の要求は、旋回性能が九六艦戦と同等でありながら、速度、上昇力、火力を大幅にアップ、渡洋爆撃に随伴できる長大な航続力を有するという、非常に過酷なものであったが、三菱では徹底した重量軽減と空力的洗礼を追求し、これに答えようとした。だが完成した試作機は、九六艦戦より大きくなり旋回性能も落ち、エンジンに自社製の小型エンジン「瑞星」を選定したため、出力が足りず速度が要求値に達しなかった。一時は開発失敗と思われた本機であったが、ここでタイミングよく中島飛行機が開発した小型1000ps級エンジン「栄」が登場する。本エンジンを搭載した試作機は見違えるような性能を示し、晴れて「一二試艦上戦闘機」として開発続行、数機の試作機が作られることとなった。丁度その頃の中国戦線では、渡洋爆撃を行なっていた九六式陸上攻撃機の被害が増大、開発中の新型戦闘機による護衛が切望されていた。そこで試作段階の「一二試艦戦」十数機を急遽護衛に投入することとなる。十二試艦戦はその圧倒的な空戦性能を開花させ、中国空軍の迎撃機を全て叩き落とし、我が方は被害無しというパーフェクトゲームを演じ、海軍に自信を与えた。そして昭和12年、ついに「零式艦上戦闘機一一型」とし正式採用されることとなる。「零戦」は、先にも書いたように徹底した重量軽減により、当時の海軍機の水準をはるかに超えた航続力、旋回性能を得ていた。が、それは防御力と機体強度を犠牲にするという結果得られたもので、防弾装備が無く、急降下速度に制限が加えられた代償は戦争末期に払わされる羽目となるのである。二一型は零戦最初のモデルチェンジ型で、一一型の主翼を空母のエレベータ寸法に合わせて、翼端が折りたためるようにしたもので、最も零戦らしい零戦と呼ばれており、多くの撃墜王を輩出した機体でもある。
http://www.sis.ne.jp/Personal/PMC/model2.htm
これは メッセージ 1329 (zeromodel21 さん)への返信です.
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