大清皇帝功徳碑
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2003/09/12 09:39 投稿番号: [7574 / 49973]
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丙子胡乱の時に清に敗れて屈辱的な強化協定を結び、清大祖の要求によって清の王の公徳を刻んだ碑石だ。朝鮮仁祖17年(1639)に建てられた碑石で、高さ3.95m、幅1.4m。題目は「大清皇帝功徳碑」である。朝鮮戦記まで朝鮮に効を捧げてきた女真族は、明の国が乱れた隙に急速に成長して後金を建国し、一層勢力を拡張して朝鮮を侵略するなどの圧力を行使した。しかし朝鮮との関係は円満ではなかった。
国の名前を清と換えた女真族が、朝鮮に臣下としての礼を尽くすように求めると、二つの国の関係は断絶した。結局、仁宗14年(1636) 清太宗は10万の軍事を導いて直接朝鮮に攻め込んで丙子の乱を起こした。
南漢山城に留まって抗戦した仁宗は、結局、清の軍隊が留まっている漢江の三田渡の渡し場で降伏をしながら、みじめな強化協定を結ぶようになった。
丙子の乱が終った後、清大祖は自分の公徳を刻んだ記念碑を立てるように朝鮮に迫り、その結果三田渡碑が建った。碑文はイ・ギョンソクが作り、文字はオ・ジュンイが書き、「大清皇帝功徳碑」という題目はヨ・イジンが書いた。碑石の前面左側にはモンゴル文字、右側には満州文字、裏面には漢字で書かれていて、満州語及びモンゴル語を研究するのに重要な資料だ。
位置:ソウル地下鉄8号線ソクチョン駅下車->8番出口
これは メッセージ 7573 (akanbei_21c さん)への返信です.
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