朝鮮半島軽視の開祖 2
投稿者: c5525jp 投稿日時: 2003/06/19 14:48 投稿番号: [5814 / 49973]
前掲書から引用の続き
原爆投下、ソ連の参戦、そして日本政府のポツダム宣言の受諾などを経て8月10日までには、こうした問題が主要な関心事となっていた。
ハリマン大使がモスクワからトルーマンとバーンズに向けてソ連軍の進撃を阻止するために満州および朝鮮への陸海両面から先制上陸作戦の実施を命ずるよう促した。
同日、国務・陸・海軍三省調整委員会は、少なくとも日本の降伏を受け入れるという目的のために、朝鮮を分割してアメリカとソ連が占領するという正式決定を慌しく行った。
ワシントンでは夜を徹して草案作成作業が進められ、チャールズ・H・ボーンスティール大佐、ディーン・ラスク少佐が極めて大まかな地図(それしかなかったのである)を使って、帝政時代のロシアと日本帝国が協議の上、分割しようとしていたのとほぼ同じ北緯38度線に沿って境界線を引いた。
アメリカ側の関係者が全員、驚愕を隠せなかったほどに、スターリンはこの提案をすんなりと受け入れた。
(アメリカ軍は9月初旬まで到着しなかったので)ソ連軍は容易に朝鮮半島全域を手にすることが可能だったにもかかわらず、スターリンはアメリカの占領地域に首都京城を含める形での分断を認めた。
この問題に関する最近のいくつかの研究によれば、ソ連がこうした譲歩の姿勢をとったのは、スターリンが朝鮮の運命にそれほど重きをおいていなかったこと、およびソ連の意図に対するワシントンの疑念を払拭するための痛みの少ない方法として、この分断を捉えていたのであろう。
また彼は、この領土分割によって、日本についても同様の権利を主張できると考えていたのかもしれない。
いずれにせよ、米ソ両大国はこの問題を、1945年8月中延々と議論する価値はないと考えていたようである(注48)。
(注48) Matray, “Captive of the Cold War.”
**************************************
ちゅ〜うことは、日本の降伏が早ければ早いほど、分断はなかったということであろう。ソ連軍が占領することになっていたのだから。
それにしても、日本の降伏間際でも、大まかな地図しかなかったということには・・・(合掌)
これは メッセージ 5813 (c5525jp さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2bg4bf7de_1/5814.html