慰安婦、等々…
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/04/24 02:20 投稿番号: [3786 / 49973]
私もuさんが質問なさっていることについては、関心があります。
さて、この件については勉強不足ですので、あまり口を出せた義理ではありませんが、
>性病にかかったかどうかすぐ調べられるため日本兵の目前で下半身を裸にされている慰安婦の写真は衝撃的でした。
これは、いわゆる軍関係の慰安婦だけでなく、平時の公娼にも保健所が義務付けていた検査でした。
>彼女達は自分と家族の面目のため日本政府が「公式補償」すると発表しても出てこないと思います。
これと関連した話を一つ。
『士官用の慰安婦はたいてい日本人でした。日本人は沖縄の人が多かったんですが、下士官兵用の多くは、朝鮮人の挺身隊で来た人たちでした。
そのころは内地の遊郭も客がいなくなって困っていた。そこでそういう人たちは、業者の慰安婦の募集があると志願して前線へ行ったんですね。水戸とか土浦(註=共に茨城県の都市。土浦には海軍航空隊があった)にも遊郭がありましたが、さびれてしまって年とったお女郎さんぐらいしかいなくなりました。
そういう人たちと、挺身隊でだまされて、まあ教育されて、天皇陛下のためと納得させられて行った人たち。
挺身隊の慰安婦はみんな若いですよ。数え年で十七から十八ぐらいですか。二十歳という人が最高でしたね。』
『法律的なことは知りませんが、本人たちは、戦死したら特志看護婦として靖国神社に祀ってもらえると言っていました。そういうふうに教えられていると。だから、空襲のときも防空壕に入らない人がいたんです。いまさら生きて帰れない、早く死にたいと、と。』
『金は確かに儲かるんですよ。(昭和)十八年当時で、若い子たち、三万円ぐらいの郵便貯金を持っていました。内地で千円もあったら家が建った時代、二等兵曹(註=海軍の下士官最下級)の給料が四十円ほどのころのことです。内地に帰ったら横浜あたりで店を開くには十分な資金でしたが、と言ってあの子たちにそんな経営能力がありましたかどうか』
『我々兵隊は国のために尽くしたんだ、何といわれてもそういう気持ちがあったから、戦後も戦友会で集まって昔話もできるんですが、「天皇陛下のために、私が奥さんのかわりをしますよ」と言っていた慰安婦は、お互い道で会っても言葉をかわすこともできないでしょう。かわいそうですよね、何とかしてやらなきゃ。でも、いま裁判やなんかしている慰安婦は、ああじゃないような気がするんですがね』
出典: 「零戦最後の証言 II」 神立尚紀著(光人社) [本稿は、元海軍中尉、戦闘機搭乗員の角田和男氏の、Bismarck諸島、New Britain島のRabaulでの記憶についての証言]
>日本が公式な補償をするのが難しいからできないので
これは、先日も申したように、日本側の提案であるドイツ式個人補償は、韓国政府により拒否されています。
しかし、貴方が「韓国政府がcareしている」と言ったので、安堵しました。(日韓条約での約束が守られた。)
少し疑問なのは、さらにその上で、韓国政府を飛び越して日本政府に補償を求めた行為です。(悪意で言っているのではありません。)
>200万日本軍の性的奴隷
「制的奴隷」という表現は、当たるか当たらないかは別として、連合国側のSex Slaveという語の直訳だと思います。
上記で引用した証言の内容を聞く限りでは、確かに「ひとさらい」的な印象を受けますが、将兵の性病予防と占領地での性的犯罪防止のための「慰安婦国内調達」ではありました。(米軍が日本でも韓国でも「現地調達」したのは、ご存知の通り。二次大戦前に米軍が秘密裏に対日戦のために中国に送り込んでいたFlying Tigersは、インドから慰安婦を調達していました。)
いずれにせよ、いつの時代でも、どこの国の軍隊でも、慰安婦を必要とするものですね。(これは、日本を弁護するために言っているのではありません。単なる戦争の「もう一つの側面」という意味で、投稿しました。)
以下は余談。
戦後の日本では、政府が米軍向けの慰安婦を募集しました。これは、「混血を防ぐ為の特攻隊」的な、悲壮な意味合いがあったと聞いています。(今手許に詳細な資料がありません。)
また、別の方々が紹介した「パンパン(街娼)」は、確かに日本人からも蔑まれました。特に子供達から、「やーい、パンパン。淫売!」と罵られましたが、逆に彼女等から「黙れガキ! 誰のお陰でアンタらの姉ちゃん達の操が守られていると思ってるんだい!」と啖呵を切られたという逸話もあります。
ちょっと重い内容でしたが、悪しからずご容赦ください。
さて、この件については勉強不足ですので、あまり口を出せた義理ではありませんが、
>性病にかかったかどうかすぐ調べられるため日本兵の目前で下半身を裸にされている慰安婦の写真は衝撃的でした。
これは、いわゆる軍関係の慰安婦だけでなく、平時の公娼にも保健所が義務付けていた検査でした。
>彼女達は自分と家族の面目のため日本政府が「公式補償」すると発表しても出てこないと思います。
これと関連した話を一つ。
『士官用の慰安婦はたいてい日本人でした。日本人は沖縄の人が多かったんですが、下士官兵用の多くは、朝鮮人の挺身隊で来た人たちでした。
そのころは内地の遊郭も客がいなくなって困っていた。そこでそういう人たちは、業者の慰安婦の募集があると志願して前線へ行ったんですね。水戸とか土浦(註=共に茨城県の都市。土浦には海軍航空隊があった)にも遊郭がありましたが、さびれてしまって年とったお女郎さんぐらいしかいなくなりました。
そういう人たちと、挺身隊でだまされて、まあ教育されて、天皇陛下のためと納得させられて行った人たち。
挺身隊の慰安婦はみんな若いですよ。数え年で十七から十八ぐらいですか。二十歳という人が最高でしたね。』
『法律的なことは知りませんが、本人たちは、戦死したら特志看護婦として靖国神社に祀ってもらえると言っていました。そういうふうに教えられていると。だから、空襲のときも防空壕に入らない人がいたんです。いまさら生きて帰れない、早く死にたいと、と。』
『金は確かに儲かるんですよ。(昭和)十八年当時で、若い子たち、三万円ぐらいの郵便貯金を持っていました。内地で千円もあったら家が建った時代、二等兵曹(註=海軍の下士官最下級)の給料が四十円ほどのころのことです。内地に帰ったら横浜あたりで店を開くには十分な資金でしたが、と言ってあの子たちにそんな経営能力がありましたかどうか』
『我々兵隊は国のために尽くしたんだ、何といわれてもそういう気持ちがあったから、戦後も戦友会で集まって昔話もできるんですが、「天皇陛下のために、私が奥さんのかわりをしますよ」と言っていた慰安婦は、お互い道で会っても言葉をかわすこともできないでしょう。かわいそうですよね、何とかしてやらなきゃ。でも、いま裁判やなんかしている慰安婦は、ああじゃないような気がするんですがね』
出典: 「零戦最後の証言 II」 神立尚紀著(光人社) [本稿は、元海軍中尉、戦闘機搭乗員の角田和男氏の、Bismarck諸島、New Britain島のRabaulでの記憶についての証言]
>日本が公式な補償をするのが難しいからできないので
これは、先日も申したように、日本側の提案であるドイツ式個人補償は、韓国政府により拒否されています。
しかし、貴方が「韓国政府がcareしている」と言ったので、安堵しました。(日韓条約での約束が守られた。)
少し疑問なのは、さらにその上で、韓国政府を飛び越して日本政府に補償を求めた行為です。(悪意で言っているのではありません。)
>200万日本軍の性的奴隷
「制的奴隷」という表現は、当たるか当たらないかは別として、連合国側のSex Slaveという語の直訳だと思います。
上記で引用した証言の内容を聞く限りでは、確かに「ひとさらい」的な印象を受けますが、将兵の性病予防と占領地での性的犯罪防止のための「慰安婦国内調達」ではありました。(米軍が日本でも韓国でも「現地調達」したのは、ご存知の通り。二次大戦前に米軍が秘密裏に対日戦のために中国に送り込んでいたFlying Tigersは、インドから慰安婦を調達していました。)
いずれにせよ、いつの時代でも、どこの国の軍隊でも、慰安婦を必要とするものですね。(これは、日本を弁護するために言っているのではありません。単なる戦争の「もう一つの側面」という意味で、投稿しました。)
以下は余談。
戦後の日本では、政府が米軍向けの慰安婦を募集しました。これは、「混血を防ぐ為の特攻隊」的な、悲壮な意味合いがあったと聞いています。(今手許に詳細な資料がありません。)
また、別の方々が紹介した「パンパン(街娼)」は、確かに日本人からも蔑まれました。特に子供達から、「やーい、パンパン。淫売!」と罵られましたが、逆に彼女等から「黙れガキ! 誰のお陰でアンタらの姉ちゃん達の操が守られていると思ってるんだい!」と啖呵を切られたという逸話もあります。
ちょっと重い内容でしたが、悪しからずご容赦ください。
これは メッセージ 3639 (angrykorean386 さん)への返信です.
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