れRe: 法律って
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/01/30 19:39 投稿番号: [30571 / 49973]
法律がむしろ人間生活の隅々まで規定するようになると住みにくい世の中になるし、かつ千差万別、変幻自在の人間の行為(法理的な面だけに絞っても)を規定できない。だから、細目を規定する省令等がそれこそ無数にできる。
>世の中どんどん変わって行くと立法した当時は予想も付かないことが起こりうる
民法の担保法などがこれ。世の中の担保の仕組みが法律をはるかにしのいで、事実的な法律になってしまったので、法律が後追い立法で追認した。
が、法律が世間に追いついて行けないという場合は、二つある。個別の法の精神はいじる必要が無く、ただその法律が新たな現象を扱う具体的な規定を設けていない場合と、法の規定する考えそのものが世の中の価値観の変化においついていかない場合。(実質的に軍事力たる自衛隊の存在と国民のその是認で、憲法9条は変遷したとする理論もこれに関連する)。
法の精神ということを簡単にいうと、社会的正義という言葉でおきかえられようが、この正義とは何かという判断が時代と共に変ることが重要問題なんだよ。借地借家法についていえば、貸し手の利益に重きを置くのが正義なのか(財産権の保護)、借りての利益に重きを置くのが正義なのか(借りての利益のためには財産権が制限されてもやむをえない)。
さらに、問題は、借りての利益に重きをおいて法律を制定すれば、今度は持ち主が、少々の家賃を貰うために家を実質上失ってしまうことはあほらしいから、貸さない、ということになれば、市場に出てくる物件が不足し、結局は借りてがこまることになる。借り手保護の法律が逆に借り手をこまらせることもある。(持ち主に強制的に家を貸すことを求める法律は、不可能)。
だから、法の精神と言っても不変ではない。
大正10年(1921年)に制定された借地借家法は、貸し手と借主の利益のバランスをとり、かつ弱い立場の借り手側保護の目的を持ち、それなりに合理性があったが、これが1941年に結構大きな改正を受け、貸し手が契約の更新を拒むには正当事由がひつようとされるよになった。
これは弱者たる借り手保護のようだが、実はそうではない。少数の家屋持ち主(かつ貸すことで賃料を得たいと思っている持ち主)と、多数の働き、戦地に行く者その家族のどちらかを重んじるかを考えた場合に、社会にとって価値のあるのは後者であるという価値判断が働いたから法が改正された。単なる弱者たる借主を保護するためではない。
時代が変って、この借り手に重きを置いた法が、貸主を圧迫するようになったので、持ち主有利なようにかなり大きな改正が平成年におこなわれた。借地借家法に関する価値観が変ったからといえる。
だから、法を貫く精神もその中核が社会的正義だといっても、結構時代によって変る。
>裁判で判例が出れば、最終判決で確定すれば、法律に準ずるものと解釈しますが
いかがでしょうか?
まさか判例が確定してもそんなものには従わないとう訳じゃないでしょう?
今回の敗者も、これ以上裁判をして金を使うことは実質的に馬鹿らしい、控訴すれば勝つかもしれないが、このまま終わりにしようと考えれば、それで確定しよう。裁判の確定と、内容の合理性は別問題。
>世の中どんどん変わって行くと立法した当時は予想も付かないことが起こりうる
民法の担保法などがこれ。世の中の担保の仕組みが法律をはるかにしのいで、事実的な法律になってしまったので、法律が後追い立法で追認した。
が、法律が世間に追いついて行けないという場合は、二つある。個別の法の精神はいじる必要が無く、ただその法律が新たな現象を扱う具体的な規定を設けていない場合と、法の規定する考えそのものが世の中の価値観の変化においついていかない場合。(実質的に軍事力たる自衛隊の存在と国民のその是認で、憲法9条は変遷したとする理論もこれに関連する)。
法の精神ということを簡単にいうと、社会的正義という言葉でおきかえられようが、この正義とは何かという判断が時代と共に変ることが重要問題なんだよ。借地借家法についていえば、貸し手の利益に重きを置くのが正義なのか(財産権の保護)、借りての利益に重きを置くのが正義なのか(借りての利益のためには財産権が制限されてもやむをえない)。
さらに、問題は、借りての利益に重きをおいて法律を制定すれば、今度は持ち主が、少々の家賃を貰うために家を実質上失ってしまうことはあほらしいから、貸さない、ということになれば、市場に出てくる物件が不足し、結局は借りてがこまることになる。借り手保護の法律が逆に借り手をこまらせることもある。(持ち主に強制的に家を貸すことを求める法律は、不可能)。
だから、法の精神と言っても不変ではない。
大正10年(1921年)に制定された借地借家法は、貸し手と借主の利益のバランスをとり、かつ弱い立場の借り手側保護の目的を持ち、それなりに合理性があったが、これが1941年に結構大きな改正を受け、貸し手が契約の更新を拒むには正当事由がひつようとされるよになった。
これは弱者たる借り手保護のようだが、実はそうではない。少数の家屋持ち主(かつ貸すことで賃料を得たいと思っている持ち主)と、多数の働き、戦地に行く者その家族のどちらかを重んじるかを考えた場合に、社会にとって価値のあるのは後者であるという価値判断が働いたから法が改正された。単なる弱者たる借主を保護するためではない。
時代が変って、この借り手に重きを置いた法が、貸主を圧迫するようになったので、持ち主有利なようにかなり大きな改正が平成年におこなわれた。借地借家法に関する価値観が変ったからといえる。
だから、法を貫く精神もその中核が社会的正義だといっても、結構時代によって変る。
>裁判で判例が出れば、最終判決で確定すれば、法律に準ずるものと解釈しますが
いかがでしょうか?
まさか判例が確定してもそんなものには従わないとう訳じゃないでしょう?
今回の敗者も、これ以上裁判をして金を使うことは実質的に馬鹿らしい、控訴すれば勝つかもしれないが、このまま終わりにしようと考えれば、それで確定しよう。裁判の確定と、内容の合理性は別問題。
これは メッセージ 30569 (tydkemvo さん)への返信です.
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