>>>あれ?
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/01 00:55 投稿番号: [28191 / 49973]
>「後唐」の滅亡をもって「燕雲十六州」が契丹に奪われた、と言うのは。
中華=漢族の民族主義的王朝史観にも思えるんですよ・・・
そうですね。宋学の「尊王攘夷」による王朝観を持ち込むから、「奪われた」という解釈になってしまうんでしょう。
>にしても。
宋は一般的に「文化国・軍事弱国」と言われますが。
>その実、約2万の官僚群と、150万の常備兵力を配備した「官僚軍事大国」でしたね。
「宋朝弱兵」なんて言われますが、重装歩兵と飛び道具による防戦には強かったんです。
官僚による「文民統制」が徹底していたんですね。(軍功を資本にして簒奪をもくろむ権臣の出現を恐れた)
>その維持費だけでも凄まじいのに。
その上で契丹に年絹20万匹、銀10万両・・・
>対西夏用に、兵力50万を張り付けもしていたし・・・(でも、食い止めるのが精一杯)
>膨大な兵力と、莫大な軍事費にもかかわらず、軍事上で劣弱だっただけでしたね。
そのわりに、重税を課したことってないですよね。商業・交易のあがりで賄っていたんでしょう。
>宋が過度にハッピーなイメージで語られるのは、時々違和感を感じます。
支那の王朝数あれど、民に苛斂誅求をしなかったのは宋くらいじゃないでしょうか?
しかも、外敵の侵略に対して、皇帝が己の不明を謝罪する詔を出すと同時に義勇兵を募ると、民衆がけっこう協力しています。岳飛なんかその義勇兵出身ですし。
その滅亡に際しても、文天祥・張世傑といった節に殉じた人々を輩出しています。支那の諸王朝のうち、その滅亡に殉じた人間の多さから言えば宋が最多ではないでしょうか。
これは メッセージ 28186 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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