>>あれ?
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/10/01 00:21 投稿番号: [28186 / 49973]
>燕雲十六州は奪回できないまま、国境線が確定です。
でしたね。
燕雲十六州は、元々唐朝末期の諸大反乱(黄巣の乱とか)平定の主力となったテュルク系沙陀族の朱邪赤心が、
唐朝より「李」姓を貰い、「李国昌」と名乗ったのを初めとする「沙陀族国家=後唐」が唐滅亡後、治めていましたが。
その沙陀族の内紛の時、李従珂が洛陽で帝を称したのに対抗する為、
沙陀の本拠・山西を押さえていた同じ沙陀の有力部族長・石敬トウ(王ヘンに唐)が、キタイ(契丹)に臣従を申し込んだ。
これに応えて、耶律堯骨が、李従珂の洛陽を蹂躙した、と。
結果、燕雲十六州は契丹の支配下に入った訳ですが。
「後唐」の滅亡をもって「燕雲十六州」が契丹に奪われた、と言うのは。
中華=漢族の民族主義的王朝史観にも思えるんですよ・・・
>宋からは年に絹20万匹、銀10万両を貢納、いちおう「中華」の面子は立てて、宋は「兄」ということですね。
「面子」は時に命より重いですしね、中華では。
にしても。
宋は一般的に「文化国・軍事弱国」と言われますが。
その実、約2万の官僚群と、150万の常備兵力を配備した「官僚軍事大国」でしたね。
その維持費だけでも凄まじいのに。
その上で契丹に年絹20万匹、銀10万両・・・
対西夏用に、兵力50万を張り付けもしていたし・・・(でも、食い止めるのが精一杯)
膨大な兵力と、莫大な軍事費にもかかわらず、軍事上で劣弱だっただけでしたね。
宋が過度にハッピーなイメージで語られるのは、時々違和感を感じます。
これは メッセージ 28182 (toapanlang さん)への返信です.
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