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!!

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/08/07 03:40 投稿番号: [25517 / 49973]
  切れてしまいました。すみません

  ↓理研ニュース2000.8「特集   サイクロトロン物語」

http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/news/2000/aug/#feature
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〜略〜
  ローレンスの特別の計らいにより設計図を入手、その全貌を知る。仁科らは早速、大サイクロトロンの改造を行い、1944年(昭和19年)、約16メガ電子ボルトの重陽子ビームを得ることに成功した。

破壊されたサイクロトロン
  大サイクロトロンが完成したころ、日本の戦局は悪化の一途をたどっていた。空襲で理研が被弾するなか、小サイクロトンは破損して運転不能に陥ったが、大サイクロトロンはほとんど無傷で生き残り、戦後の日本の原子核物理研究を牽引するはずだった。しかし、悲劇が起こる。敗戦直後の1945年(昭和20年)10月25日、連合国軍総司令部(GHQ)は、軍事研究につながらない生物学、医学へのサイクロトロンの使用許可を一旦は与えるが、11月20日、サイクロトロンは突然GHQの査察を受け、その3日後にはGHQから破壊命令が出された。
仁科が心血を注いだサイクロトロンは東京湾に沈められたのだ。解体に立ち会った田島英三(仁科研、のちに立教大学教授)は、「7、8年手がけ、ようやくビームが出て、これから実験というときに。自分の手が切られる思いだった」と当時の心境を語る。
  その後、GHQにより理研も解体。第4代所長に就いていた仁科は、株式会社化により理研(科学研究所に改称)を存続させ、科学の復興に骨身を削るが1951年(昭和26年)1月に逝去する。その4ヶ月後、理研のサイクロトロンの歴史が再び動き出す。ローレンスが理研(科研)を訪れ、サイクロトロンの再建を促すとともに、GHQに建設の許可を取り付けたのだ。第1号サイクロトロンの予備として残されていた電磁石を使い、通産省からの資金援助を受けて1952年(昭和27年)12月、第3号サイクロトロンは完成した。しかし、放射性同位体(RI:ラジオ・アイソトープ)による医学研究などに成果を上げたものの、核物理の研究に役立つことはほとんど無かった。
〜後略〜
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  >空襲で理研が被弾するなか、小サイクロトンは破損して運転不能に陥ったが

  ↓このときの様子はこちら
   「空襲下共同生活の1年 山崎文男 (自然、1979年10月号)」

http://homepage2.nifty.com/tkeizo/book120922-j.html

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〜略〜
4月13日,ついに最後の日がきた.夜11時ごろ空襲のサイレンが鳴りひびく.敵はいきなり飛びこんできて,まず理研のあたりに落し,大きな火柱がたつ.続いて原町,曙町に落していく.向いの高木貞治先生の家に落ちて,たちまち火に包まれる.家族の方々が手に負えぬと諦めて,「ではお先に」と挨拶されたので,「先生は?」と聞くと,「先ほど避難しました」と.先生の書斎は私の家から3mほどしか離れていない。それが燃えるときには輻射熱で私の家の外壁の板から,マッチほどの火が燃え上る.朝永さんと火叩きに水をつけては消す.寺田先生の家に移った火はたちまち広がって、大きな音をたてて二階の棟は焼けおちた.

しかし,あらかじめ定めておいた逃げ道のほうへ火は延びて行くので,もうこれまでと3人は立ち去る.道路はすっかり乾いている.あと100mほどで駒込警察署というあたりで,頭上に焼夷弾の束の破裂する音が響き,朝永さんと2人は無意識に道端の塀に身を寄せて伏せてしまった.小林君はとっきに人家の中にとびこむ.私共2人から1mとない道路上に一発油脂焼夷弾がおちて火を吹き出した.どこから現われたか1人の巡査が「火を消して」とどなる.従順な2人はしばらく消火を手伝う.しかし見ると逃げるつもりの道も煙に包まれてきた.急ぎここを通り抜けて,駒込署の北の,すでに1月の空襲で焼けた神明町の焼跡に迫りつく.

やっと生心地を取り戻し,なぜあの時2人は最も大きな「断面積」をとづたのだろうと冗談も出る.遠くからかすかに聞こえてくる解除のサイレンと共にここを立ち去り,理研に行く.49号館の外壁についた火を消すのを手伝ったあと、23号館2階の朝永さんの居室へ入り,2人とも,机の上にごろりとなって深い眠りに落ちた.
このような結末で私共の共同生活は終ったのであった。
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