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さらに

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/08/07 02:55 投稿番号: [25515 / 49973]
日本でも「ニ号研究」という原爆開発研究が始まっていた。昭和十五年五月ごろだった。

最初に命じたのは、陸軍航空技術研究所長の安田武雄中将で、十六年四月ごろ、安田中将は理化学研究所長の大河内正敏博士に正式に原爆研究を依頼し、研究を担当したのは仁科芳雄博士だった。

スタッフは百人以上いて、その中には戦後ノーベル物理学賞を受賞する朝永振一郎博士もいた。
仁科研から陸軍航空本部に「原爆製造は可能」とする報告書が届いたのは昭和十八年春ごろ。
十七年末、東京・駒込の理研には原爆研究実験のための四十九号館も完成した。
(中略)

苦労を重ねて完成した分離筒と六フッ化ウランを使った実験が始まったのは十九年七月。
二十年初め、離筒の上のほうのガスを抜き、サイクロトロンを使って、ウラン235が分離されているかどうか、分析した。しかし、結果は失敗だった。
そして、実験装置のあった四十九号館は昭和二十年四月、空襲で焼失する。

陸軍は海軍に実験データを渡し、仁科研のほかにも、さらに京大と阪大でも原爆研究が行われる。

しかし、米国のマンハッタン計画は原爆製造のために二十億ドルが投下され、延べ四十五万人が動員された。
これに対し、日本(理研)では研究予算一千万円、スタッフはわずか二十数人だった。
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