浅川巧と朝鮮民族美術館
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/04/13 01:40 投稿番号: [20711 / 49973]
>植林に励んだ浅川も〜
>いや、彼だけじゃありませんが
朝鮮の美術の紹介については柳宗悦が知られていますが、美術館の収蔵品の蒐集は浅川巧と一緒にあたったそうです。
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http://www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/event/catalogue/muneyoshi/zuhan_2.htm______________________________________
〜略〜
この後柳は、光化門の取り壊し計画に反対の意を述べた「失はれんとする一朝鮮建築の為に」など、次々と朝鮮に関する文章を発表しているが、そのひとつ、1920(大正9)年5月の朝鮮旅行の直後に書かれた「彼の朝鮮旅行」のなかで、柳はまず、この時京城(現在のソウル)での音楽会を企てた経緯や滞在の様子について詳しく語っている。また、滞在中に見た染付辰砂蓮華文大壺について、自身の日記を引用しつつ触れたのに続いて、次のように書いている。「且つ彼は残された作品の無益な散逸を惜しんで、朝鮮民族美術館を設置したい願望をも記した。彼は前から此企てを實行しようとして、彼の所持金の許す限りをその為に費し始めた」。
後の柳宗悦の回想によれば、美術館の所蔵品の蒐集には主として浅川巧と柳があたったという。蒐集は染付、辰砂、鉄砂、白磁などの李朝の陶磁器、膳などの木工品を中心に、工藝の各分野にわたり、絵画も含まれている。
朝鮮民族美術館の設立にあたっては、朝鮮在住の浅川兄弟、なかでも浅川巧の存在が大であったと思われる。しかし1931(昭和6)年に『朝鮮の膳』と『朝鮮陶磁名考』の二冊を遺して浅川巧が急逝し、柳を深く落胆させた。朝鮮民族美術館はその後も存続したが、当時周辺にいた人々の話によれば、たまの来訪者のある時以外は閉鎖されたままだったという。そしてそのまま終戦を迎えたが、3000点を超えたといわれるコレクションはそのまま宋錫夏が設立した国立民族博物館に吸収されることになった。この時、アメリカ占領軍は、朝鮮民族美術館のコレクションの価値を認め、この措置をとったという。その後、国立民族博物館は国立中央博物館南山分館に吸収され、博物館の収蔵品として現在に至っている。今回はその中から朝鮮民族美術館の旧蔵品と確認された10点が出品されている。またそのコレクションの一部は、日本民藝館にも収蔵されている
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こういう収蔵品も「奪われた」のを「取戻した」って解釈になっているのかなぁ・・・
これは メッセージ 20661 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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