も一つ
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/01/03 00:52 投稿番号: [1751 / 49973]
こっちは,つくる会の歴史教科書が検定を通過した直後の記事なので,ちょっと感情的ですな。
大韓毎日新聞2001年4月7日
[緯線経線]天皇と日王
日本の国粋主義勢力は,いわゆる「自虐史観」を克服しなければならないと言いながら「皇国史観」を蘇らせつつある。
歴史教科書歪曲がその傍証だ。皇国史観は,自国の恥部を隠したまま,隣の民族を劣等視し自尊心を極大化しようとする,歪んだ史観にほかならない。
日本の歴史教科書歪曲問題と関連し,日本の言論の一部が,われわれの怒りに油を注ぐ。中国は強硬に対応しているのに韓国は相対的に微温的だという報道がそれだ。もちろんわれわれの社会でも,日本商品不買運動から国交断絶に至るまで,強硬対応論が沸騰している。しかし,国交断絶の主張などは無謀だという考えだ。日本国粋主義の跋扈に憤慨するのは当然だが,韓日間の経済が深く相互依存している状況で,実現可能性がほとんどないためだ。
日本の王は,わが国でもしばしば「天皇」と呼ばれる。
ある議員は,これを「天王」に変えるべきだと主張した。
その発想は参考にすべきだが,着地点は道理に合わない。これまでのように,「日王」とするのが適当だ。
西洋の皇帝(emperor)は,オクタビアヌス以後,多民族を統治するローマ帝国のエンペラトゥールから始まった。一方,中国では,紀元前221年,初めて中原を統一した秦の始皇帝が,古代の三皇五帝を凌駕しようという意味で「皇帝」という尊号を作った。
日本において,「天皇」という呼称は,天武,持統の二人の王が統べた7世紀後半から8世紀初めに登場したというのが定説だ。光輝く民族優越感を鼓吹する「天皇」の呼称は,中国でも唐の高宗だけが唯一使った。厳密にいって,日本が立憲君主制下では象徴的存在にすぎない彼らの君主を,「王」と呼ぼうが「皇帝」と「僣称」しようが,彼らの内部問題だ。しかし,「日皇」でもなく「ハヌル(神)が降りた皇帝」という意味の「天皇」という呼称を,われわれが使用するのは問題だ。
昨年,森総理が「日本は天皇を中心とする神の国」と言ったとき,われわれは耳を疑いつつ,単純な言い間違いと片づけた。しかし,今回,文部科学省の検定を通過した一部の教科書の内容は,天皇制が国粋主義的皇国史観と脈を通じていることを実感させる。ならば,日本でも「天皇」の呼称を「日王」と変えたらどうか。皇国史観の迷妄に陥っている日本社会に警鐘を鳴らそうとするなら,日王も足を地につけて立つ普通の人であることを悟らせてやる必要があるためだ。
(ク・ボニョン論説委員)
大韓毎日新聞2001年4月7日
[緯線経線]天皇と日王
日本の国粋主義勢力は,いわゆる「自虐史観」を克服しなければならないと言いながら「皇国史観」を蘇らせつつある。
歴史教科書歪曲がその傍証だ。皇国史観は,自国の恥部を隠したまま,隣の民族を劣等視し自尊心を極大化しようとする,歪んだ史観にほかならない。
日本の歴史教科書歪曲問題と関連し,日本の言論の一部が,われわれの怒りに油を注ぐ。中国は強硬に対応しているのに韓国は相対的に微温的だという報道がそれだ。もちろんわれわれの社会でも,日本商品不買運動から国交断絶に至るまで,強硬対応論が沸騰している。しかし,国交断絶の主張などは無謀だという考えだ。日本国粋主義の跋扈に憤慨するのは当然だが,韓日間の経済が深く相互依存している状況で,実現可能性がほとんどないためだ。
日本の王は,わが国でもしばしば「天皇」と呼ばれる。
ある議員は,これを「天王」に変えるべきだと主張した。
その発想は参考にすべきだが,着地点は道理に合わない。これまでのように,「日王」とするのが適当だ。
西洋の皇帝(emperor)は,オクタビアヌス以後,多民族を統治するローマ帝国のエンペラトゥールから始まった。一方,中国では,紀元前221年,初めて中原を統一した秦の始皇帝が,古代の三皇五帝を凌駕しようという意味で「皇帝」という尊号を作った。
日本において,「天皇」という呼称は,天武,持統の二人の王が統べた7世紀後半から8世紀初めに登場したというのが定説だ。光輝く民族優越感を鼓吹する「天皇」の呼称は,中国でも唐の高宗だけが唯一使った。厳密にいって,日本が立憲君主制下では象徴的存在にすぎない彼らの君主を,「王」と呼ぼうが「皇帝」と「僣称」しようが,彼らの内部問題だ。しかし,「日皇」でもなく「ハヌル(神)が降りた皇帝」という意味の「天皇」という呼称を,われわれが使用するのは問題だ。
昨年,森総理が「日本は天皇を中心とする神の国」と言ったとき,われわれは耳を疑いつつ,単純な言い間違いと片づけた。しかし,今回,文部科学省の検定を通過した一部の教科書の内容は,天皇制が国粋主義的皇国史観と脈を通じていることを実感させる。ならば,日本でも「天皇」の呼称を「日王」と変えたらどうか。皇国史観の迷妄に陥っている日本社会に警鐘を鳴らそうとするなら,日王も足を地につけて立つ普通の人であることを悟らせてやる必要があるためだ。
(ク・ボニョン論説委員)
これは メッセージ 1750 (bosintang さん)への返信です.
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