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カンニング携帯メールはウリナラ起源ニ…

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/11/22 20:32 投稿番号: [15925 / 49973]
ちょっと悲しい内容…。

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【噴水台】科挙試験

朝鮮(チョソン、1392〜1910)22代王の正祖(ジョンジョ、1752〜1800)24年3月21日、科挙試験の第1次試験にあたる初試が行われた。集まった人員は11万1838人。翌日、成均館(ソンギュングァン)の儒者を対象にする人日製(陰暦正月17日に行った科挙)試験には10万3579人が押し寄せた。2日間にわたって、21万人が雲集したのだ。 当時、漢陽城(ハンヤンソン)内の人口が20〜30万人だったから、いまで言うと、ソウル人口の3分の2が集まったわけだ。

英祖(ヨンジョ、1694〜1776)15年の謁聖試(非正規の文武試験)を受けた人がおよそ1万7000人。正祖24年以降61年間にわたって、1日の受験者が5倍も急増したのだ。何故、このように増えたのだろうか。『星湖し説』(「し」は人偏に塞)を著述した李翼(イ・イック、1681〜1763)の計算によると、科挙試験の文科を合格した後、就ける官職は約500ポストにすぎなかった。良い官職に就くのが立身揚名(社会的地位を確保し名を上げること)の基準とされた朝鮮時代で、人口増加や両班(ヤンバン、朝鮮時代の特権的官僚階級)中心の身分秩序が崩壊することによって、後期へ進むほど試験場へ向かう人数が多くならざるを得なかった。

競争が激しいものだから、自然と不正行為があらわれ始めた。古典的な手口は、試験場に書物を持って入ること(挟書)。光海君(クァンヘグン、朝鮮15代王、1575〜1641)時代、李光(イ・グァン、1563〜1628)は『芝峰類説』で「露骨に書物を持ち込み、科挙試験場があたかも本屋のようだった」と書いた。李翼も「挟書の禁は完全の崩壊した。科挙試験場で自分で作文する人は10分の1にすぎない」と話した。

そのほかにも、鼻の中に「カンニングペーパー」を隠す「ウィヨンゴ」、監督官と受験者が連係する「ヒョクジェ」、合格者の名前を置き換える「ジョルクァ」、解答紙を変える「ファンクォン」、第3者が代わりに試験を受ける「チャスル」、他人の解答紙を盗み見する「コバン」など多様だった。

携帯メールを使った修学能力試験の不正もやはり、通信技術の発達による「先端技法」であるだけで、形はいまも昔も変わらない。試験場の外から、模範答案を受験生に伝える手法は、すでに粛宗(スクジョン、朝鮮19代王、1661〜1720)のときに登場していた。成均館前の村で、ある女性が山菜をつむ途中、地のなかでひもを見つけた。好奇心で、ひもを引っ張ってみると、空っぽの竹があり、長く結ばれた竹筒は垣根の下を通って、科挙試験場にまでつながっていた。なかで試験紙を送りだせば、外では解答紙を作って送り返したのだ。携帯メール不正の元祖であるわけだ。試験が立身の道具に認識され、あらゆる手段と方法を動員する、社会病理的な現象まで、当時を踏襲しているから、不びんに思えてならない。

崩壊された科挙実態について、実学者の朴斉家(パク・ジェガ、1750〜1805)は『北学議』で「謙そんであるべき場所で、強盗行為や戦場などであり得る行為が行われている」とし、慨嘆した。

安成奎(アン・ソンギュ)政治部次長


2004.11.22 20:20

http://japanese.joins.com/html/2004/1122/20041122202042100.html
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