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弥生文化は中国・華南地方から

投稿者: CDU_CSU 投稿日時: 2004/10/11 15:07 投稿番号: [13719 / 49973]
まず以前、別トピに投稿した私の投稿から

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  半島における農耕はやはり北部がはやく前1000年ごろと言われております。
おそらくは前述の青銅器文化を持った騎馬民族が持ち込んだと思われます。

しかし出土物のメインは稗や粟といった畑作系の穀物です。

  一方半島中西部の前4〜6世紀の遺跡からは大量の炭化米と琵琶型銅剣、それに桃氏式銅剣を模したような磨製石剣が大量に出土しています。(弥生時代の日本、特に北部九州からも顕著に出土)
桃氏式銅剣自体は中国・長江流域が起源と言われております。
私は桃氏式磨製石剣がカギと考えます。

  結論から申し上げますと前4〜6世紀ごろ戦国時代の長江下流域は戦乱にあけくれ多くの人々が家や田畑を失った。(例えば前473年呉滅亡、呉王・夫差敗死)

名も無い人々は難民となって船に乗り対馬海流にのって九州や半島黄海沿岸にたどりついた。
この人達が日本や半島に水田稲作を伝えた人々ではなかったのでしょうか。(日本の弥生時代開始)

  人々はそれぞれの土地に定着し水田稲作を開始した。ただ技術者がいなかったのか銅鉱山が発見できなかったのか銅剣が作れず、磨製石器で故郷・中国の銅剣を真似たものを作った。これが桃氏式磨製石剣ではないでしょうか。

  その後半島から温暖な日本へ来た人もいたかもしれませんがほぼ同時期に水田稲作は始まったと考えられます。

余談ですが熱帯ジャポニカ種による陸稲栽培は縄文期の前4000年ごろには始まっていたようです。

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  日本・半島の出土物などから判断すると、

  できれば地図を見ながら確認してほしいのですが、中国の戦国期に揚子江下流域あたりから戦乱を逃れた難民(民族系統は漢族とはかぎらない。中原の人間からビンや越などと呼ばれた人達かもしれない)が
東シナ海を渡って、華南から等距離にある、九州北部や半島南部に同時に押し寄せた。

この人達が現地人と混血をくりかえしながら日本の弥生人、半島のいわゆる辰国あるいは三韓の人となった可能性が高いと思われます。

韓国の人は弥生人をなにがなんでも朝鮮北部を経由させようとしますが、華南>華北>北部朝鮮>南部朝鮮と遠回りする理由がないですし、まず無理でしょう。

  また当時、半島南部の三韓人と九州北部の弥生人は文化的にそれほど大きな差はなく、双方向に交流があり対馬海峡は内海とも呼べる状況だったと思います。

多くの韓国人は人種差別的な「韓国人を祖に持つ優秀な弥生人が劣等な縄文人を物理的にも文化的にも絶滅させた」という考えを信じているようですが、弥生人は縄文文化のよいところはとりいれ、それは半島へも伝えられました。

たとえば勾玉は縄文時代からありましたが、それは支配階級の美術装飾品として半島へ伝わり、新羅王の金冠にもとりつけられております。

またこの時代以降、九州北部から半島南部の弁辰・馬韓・辰韓、さらに漢江にかけてはやった甕(カメ)に遺体を埋葬する甕棺墓制は、大陸に今のところ類似の墓制がないところからみて、日本列島の縄文時代の壷棺墓(遺体をまず土葬し、その後遺骨を取り出して壷に収めて墓に埋める)が起源と思われます。

中国の正史にも半島南部に倭人が居住していたこと、半島南部の三韓人が倭人の習慣であるいれずみを真似していたことが記されており、考古学・歴史学双方からこのことを裏付けています。
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