倭人
投稿者: doronpa75 投稿日時: 2004/10/11 02:26 投稿番号: [13715 / 49973]
中国中央から見れば、東に浮かぶ島国は知識の中だけの国家で、「倭人文化の国」と考えるのが当時としては常識だったのだと思います。
フランス人は永らく自分達がフランク族出身だと思っていましたが、17世紀にこれは誤りで、ケルトの血がほとんどだと気付きます。
もちろんローマの血もほとんど残っていませんでした。
これは、進攻した民族はその子供達の世代で原住民の母方の言葉を話し、現地人の妻を娶り血が薄まるばかりだったからだそうです。
夫が子供に教育をするといった発想は、当時には無くて当たり前だと思います。
中国南部の「倭人」男子が海を渡り稲作文化を伝えても、子供達は中国南部の言葉さえ話せなかったという事もありえると思います。
我々の記憶の中で中国での形跡がないのはそのためだと想像します。
それを中国人に「おまえは倭人だ」といわれて「はあ?」と思ったか「そうだったのか!」と思ったのかは分かりませんが、当時の日本人は「はあ?何を根拠に?」じゃないでしょうか。
朝鮮人が中国人に教えてもらった「倭人」という言葉を使うのは明らかに、直接交流が少なかった証拠だと思います。
これは メッセージ 13708 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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