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義盗って...②

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/09/21 19:05 投稿番号: [12310 / 49973]
そんな記録の少なさにもかかわらず、張吉山が並の盗賊ではなかったことを1697年の実録は伝えている。
  「張吉山は僧侶の勢力とくみして、また地方の有力者たちを引き入れ、鄭姓真人と崔姓真人を立てて新国家の開国をもくろんでいた」
  ここから明らかなことは、張吉山は単なる盗賊ではなく、国をも呑む政治的大盗人であったということだ。
  朝鮮人は三大盗賊を「義盗」と呼んできている。「義盗」とは大義ある盗賊という意味である。大義は人のふみ行うべき重大な道義。盗賊に大義とは何ということなのか。
  それなりの理由が朝鮮の盗賊にはあった。
  洪吉童に代表される朝鮮の盗賊は、常にその矛先が腐敗しきった官吏や両班に向けられ、悪政の犠牲者である民百姓を救うことを名分に掲げていた。権力の側から見れば「極悪非道の強盗」であったが、民衆の側からは「貴人」「恩人」と慕われたのである。
  日本の三大盗賊は、その目的において社会正義という大義が薄れ、私利私欲のためのドロボーというイメージをぬぐえないが、朝鮮の盗賊たちは「悪を懲らしめ善を助ける」という大義名分を掲げての盗みであったのである。
  日本の盗賊は個人か小集団で、その手法においても大胆さに欠けるが、朝鮮の盗賊は白昼堂々官舎を襲い、悪大官やら悪徳地主を吊るし上げ、米、綿布などの略奪品を民衆に分け与えて立ち去るという、大胆不敵な方法をとっていた。
  彼らのこの大胆さには、悪事をはたらく者のうしろめたさなど微塵も感じさせない。むしろそれは、英雄気取りの勇ましさというべきである。おそらく彼らは悪事をはたらきながらも、自らを社会正義のためにたたかう志士であると自負していたのかもしれない。
  洪吉童も林巨正も張吉山も被差別人であった。この3人には身分の卑しさという共通点とともに、たとえ盗賊とはいえ、上に立つものとしての共通の資質が見受けられる。聡明であること、指導力と組織力があること、大胆でありながら用意周到であること、そして義理と人情に厚いこと―などである。
  義盗という呼び方には、優れた才能を持ちながらも悪事をはたらかざるをえなかった彼らに対する民衆の熱い同情が込められているのかもしれない。
(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.8.28]
http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/06/0406j0828-00001.htm
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