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義盗って...①

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2004/09/21 19:05 投稿番号: [12309 / 49973]
日本の「三大盗賊」?誰の事言ってるのか知らんが...
「盗賊、犯罪者」って認識だぞ?日本人は...それが「義盗」?
「義盗」とやらの「社会正義という大義」とやらを賞賛するのも良いが...
その前に「どうしてそんな人物が出現する世になってしまったのか」を考察する方が先決じゃないか??

〈朝鮮歴史民俗の旅〉   盗賊(2)

林巨正は聡明で腕っぷしも強く、人心掌握においては天才的な才能を持っていた。しかも、智略にたけ人情も厚く、白丁の世界にあっては親分と慕われていた。頼りがいのある人物だったので、数十人の白丁たちが義兄弟の契りを結んで彼の配下に集まった。  
  拠点を開城の山奥において、彼の盗賊行為は始まった。彼らははじめから腹が座っていた。失うものがなかったから恐れることもなかった。
  手始めに田舎の官営を襲って米を略奪した。次に、野武士のように山道を封じて、金持ちの荷車を襲い金品を巻き上げた。戦利品は公平に分け、残りは貧しい者や病弱な者などに分け与えた。
  噂が広がると各地から白丁が集まり群れをなした。官営を襲って武器を調達したが、ふくれあがる配下の盗賊の数にはとても満たなかった。そこで、山の谷間に鍛冶場を設けて、刀、弓、槍、大槌を作って新参者に与えた。
  林巨正の盗賊隊は各地で盗みをはたらいた。
  黄海道、江原道、平安道にも現われ、ついに首都のソウル中心街にも出没した。襲われたのはもっぱら大地主と権勢家。宮廷に運ばれる貢物や租税も狙われた。
  白昼堂々と現われ、大門を大槌で叩き壊し、穀物と家財の一切を運び出すという手荒い手法に、両班と権勢家は震え上がった。しかし、貧しい者や下僕には手を出さなかった。もしもそのようなことが発覚すれば、手を下した者を打ち首にするという掟が林巨正によって定められていたからである。
  王朝政府は林巨正に懸賞金を懸けた。王朝の実録は次のように書いている。
  「林を捕まえた者には、良人であれば官職と布を、郷吏、駅卒、公私の賎人であれば、免役か免賎を許し、さらに盗賊の財産を奪って与える」
  1562年1月、林巨正は討伐軍によって逮捕された。懸賞金に惑わされた一人の参謀の裏切りが発端であった。彼が捕らわれた夜、捕盗庁(警察庁)の官舎は祝勝にわいたが、ソウルの街はひっそりと静まりかえっていたという。
  張吉山についての記録は粛宗王時代の王朝実録に2回見られる。彼も卑しい身分の出身で大道芸が職業であった。やはり社会的差別に不満であったのが盗賊のきっかけであったようだ。しかし、大盗人でありながら彼の詳細な記録は少ない。行方をくらまして捕まることがなかったため、記録として残されなかったのだ。
(続く)
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