Re: 追軍売春婦の話しなんですが
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/11/18 15:00 投稿番号: [9995 / 15709]
「従軍慰安婦・慶子」千田夏光著
光文社刊より抜粋。
注:①<>の部分は、文脈が理解しやすいように加えました。
②本書は、著者が日本人の慶子(遊郭での源氏名)から聞いた証言をもとに書いた形式をとっている。
<慶子は>『英彦山(ひこさん)西麓の村で十一人兄弟の長女として生まれたが、十七歳のとき、「もうこれ以上は養えない、すまんが女中奉公にでもいくつもりで行ってくれ」零細農業の父親に言われたのである。六畳、四畳半二間の家で母親が十二人目をみごもったときであった。「そのかわり、すぐ身軽になれるよう、借金は二十円だけにしておくからな」と言われたのだった。昭和八年のことである。』(16頁)
『「残金は長崎で渡すとして、とりあえず、予約金として百円だけ渡しておく。はいこれ、ちゃんとしまっておくとだよ」
(中略)。
(これが百円札なのね、生まれて初めて見るが、本当に百円札というものじゃろか)
(中略)。
後に、世間から兵隊から”従軍慰安婦”という悲痛なさげすみの響きをもった言葉で呼ばれる従軍売春婦、兵隊専用売春婦というものに、この一枚の百円札ゆえに自分がなっていくのだ、ということなど<慶子は>考えもしなかった。』(56〜57頁)
『金必連は、五年前の昭和七年の十二歳のとき朝鮮から両親に連れられ兄弟とともに嘉穂にきた。嘉穂は福岡県内でも指折りの炭鉱だが、父はそこで炭鉱員に、母は雑役婦に、弟や妹は幼いから家にいたが、自分は独身炭鉱員の飯場で炊事洗濯をしていた。』(85頁)
『こんな飯場で炭鉱員の飯炊きや洗濯をしていても月五円五十銭か、せいぜい七円だ。支那大陸にいくと戦場の兵隊たちに同じことをしてやるだけで千円の支度金が貰え、月々家に仕送りができる銭の入る仕事がある、どうだ行って働いてみないか、と<炭鉱の親方から>言われたと言うのである。
その条件に加え、三食たっぷり食事がつき、着る物の心配もいらない。女らしい物を着せてくれるというので、その場で応募したと言うのだ。
「応募したことを話し、千円渡したらお父さんは、あんたになんと言った?」
<と慶子が金必連に>たずねたら、
「サキ言ウタミタイニ、ハチメ腰ヌカシ、ピクリシタケト、シパラクシテ、涙ポロポロ出シテ泣イタヨ、泣イテ喜ンテクレタノヨ」
父親はそんな娘の話をきいて、そんなうまい話があるはずはない。兵隊の炊事や洗濯するだけの仕事で、いくら戦場とはいえ千円もの支度金をくれるはずがない。これは兵隊のなぐさみものにされるのだとすぐわかったはずだ。涙は悲しみの涙だ、ウチが家を出るとき母親が流したのと同じ涙だと慶子は思った。』
『うまく話しをもちかけ言いくるめれば親も「いい口べらしの話がもちこまれた」と、その場で娘を連れていくことを承知するだろう。』(89〜91頁)
**************************************************************
悲しい話だが、やはり「身売り話」だなあ。
>『親も「いい口べらしの話がもちこまれた」と、その場で娘を連れて行くことを承知するだろう。』
と著者自身が書いているように、親だって承知している。
親はその大金の千円を何に使ったんだ?
娘がまったくの無知だったとしたら、両親にも騙されたのだから、両親を恨む他ない。
韓国で娘が「強制連行された」、「騙された」と訴える両親が一人もいなかったのは、当然です。
韓国で「従軍慰安婦」が問題化されたのは、両親の世代が亡くなった後と符号するようにも思える。
注:①<>の部分は、文脈が理解しやすいように加えました。
②本書は、著者が日本人の慶子(遊郭での源氏名)から聞いた証言をもとに書いた形式をとっている。
<慶子は>『英彦山(ひこさん)西麓の村で十一人兄弟の長女として生まれたが、十七歳のとき、「もうこれ以上は養えない、すまんが女中奉公にでもいくつもりで行ってくれ」零細農業の父親に言われたのである。六畳、四畳半二間の家で母親が十二人目をみごもったときであった。「そのかわり、すぐ身軽になれるよう、借金は二十円だけにしておくからな」と言われたのだった。昭和八年のことである。』(16頁)
『「残金は長崎で渡すとして、とりあえず、予約金として百円だけ渡しておく。はいこれ、ちゃんとしまっておくとだよ」
(中略)。
(これが百円札なのね、生まれて初めて見るが、本当に百円札というものじゃろか)
(中略)。
後に、世間から兵隊から”従軍慰安婦”という悲痛なさげすみの響きをもった言葉で呼ばれる従軍売春婦、兵隊専用売春婦というものに、この一枚の百円札ゆえに自分がなっていくのだ、ということなど<慶子は>考えもしなかった。』(56〜57頁)
『金必連は、五年前の昭和七年の十二歳のとき朝鮮から両親に連れられ兄弟とともに嘉穂にきた。嘉穂は福岡県内でも指折りの炭鉱だが、父はそこで炭鉱員に、母は雑役婦に、弟や妹は幼いから家にいたが、自分は独身炭鉱員の飯場で炊事洗濯をしていた。』(85頁)
『こんな飯場で炭鉱員の飯炊きや洗濯をしていても月五円五十銭か、せいぜい七円だ。支那大陸にいくと戦場の兵隊たちに同じことをしてやるだけで千円の支度金が貰え、月々家に仕送りができる銭の入る仕事がある、どうだ行って働いてみないか、と<炭鉱の親方から>言われたと言うのである。
その条件に加え、三食たっぷり食事がつき、着る物の心配もいらない。女らしい物を着せてくれるというので、その場で応募したと言うのだ。
「応募したことを話し、千円渡したらお父さんは、あんたになんと言った?」
<と慶子が金必連に>たずねたら、
「サキ言ウタミタイニ、ハチメ腰ヌカシ、ピクリシタケト、シパラクシテ、涙ポロポロ出シテ泣イタヨ、泣イテ喜ンテクレタノヨ」
父親はそんな娘の話をきいて、そんなうまい話があるはずはない。兵隊の炊事や洗濯するだけの仕事で、いくら戦場とはいえ千円もの支度金をくれるはずがない。これは兵隊のなぐさみものにされるのだとすぐわかったはずだ。涙は悲しみの涙だ、ウチが家を出るとき母親が流したのと同じ涙だと慶子は思った。』
『うまく話しをもちかけ言いくるめれば親も「いい口べらしの話がもちこまれた」と、その場で娘を連れていくことを承知するだろう。』(89〜91頁)
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悲しい話だが、やはり「身売り話」だなあ。
>『親も「いい口べらしの話がもちこまれた」と、その場で娘を連れて行くことを承知するだろう。』
と著者自身が書いているように、親だって承知している。
親はその大金の千円を何に使ったんだ?
娘がまったくの無知だったとしたら、両親にも騙されたのだから、両親を恨む他ない。
韓国で娘が「強制連行された」、「騙された」と訴える両親が一人もいなかったのは、当然です。
韓国で「従軍慰安婦」が問題化されたのは、両親の世代が亡くなった後と符号するようにも思える。
これは メッセージ 9994 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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