浮世離れした「盧武鉉迷言集」
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/28 23:11 投稿番号: [13528 / 15709]
>日本が相手というと何をいっても構わないという、相変わらずの”甘えの構造”でもある。
日本的優しさを理解出来ないで、つけあがってます。
「甘え」とは可愛らしい言い方ですね。通常はキチ○イと言います。
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黒田勝弘のソウルの風
第37回 学生運動レベルの国際感覚が生み出す外遊先での盧武鉉”迷言集”
相変わらず盧武鉉大統領の”金正日擁護”が続いている。盧政権は先に、日本海における北朝鮮のミサイル発射に対し、北朝鮮ではなく北朝鮮を批判する日本など国際社会を逆に「騒ぎすぎだ」と批判し、さらに将来の有事対策を議論すべきだとする日本の国内世論を逆に「侵略主義的」と非難している。
現在、世界で日本を「侵略主義的」などと非難している国など韓国しかないだろう。いや北朝鮮があったか。今やあの中国でさえそんな”浮世離れ”したことはいわない。学生運動レベルといおうか、親北・左翼団体レベルの国際感覚だ。
”NGO(非政府組織)政権”と皮肉られる盧政権の面目躍如といったところだが、日本が相手というと何をいっても構わないという、相変わらずの”甘えの構造”でもある。こんな非難は国際感覚というより、国内感覚といったほうがいいかもしれない。こうした風景が、かねて筆者(黒田)がいっている「日本離れできない韓国」という意味である。
その盧武鉉大統領が最近、ヨーロッパ外遊の際にフィンランドのヘルシンキでこんなことを言っている。記者会見で北朝鮮のミサイル問題を質問された時の答えである。
「北韓(北朝鮮)のテポドン・ミサイル試験発射は武力攻撃のためのものではなく、政治目的のために発射したものと考えている。そのミサイルは米国まで届くにはあまりにみすぼらしく、韓国向けにはあまりにも大きい」
よく言っていただきました。そうなんです。米国向けでもなく、韓国向けでもない北朝鮮のミサイルは、実は日本向け(!)なんです。だから日本は「日本向けの可能性がある」と安保上の脅威を感じ、制度上の敵基地攻撃論の可否をふくむ、有事対策の議論の必要性を議論しているのです。
外遊先での盧大統領の発言はいつも面白い。就任直後の米国訪問の際は、北朝鮮の核開発について「一理ある」と発言し話題になっている。だからソウル駐在の外国人記者には、ニュースメーカー・盧大統領の外遊は、期待いっぱいだ。
ヘルシンキでは北朝鮮の核実験の可能性についても質問され、これには「今のところいかなる情報も持ち合わせていない」とかわしていたが、核実験をやっても「あれは武力攻撃のためではなく政治目的のためのものだから騒ぐ必要ない」ということだろう。
そういえば核兵器は「国際政治上の最大の外交手段(つまり政治手段)」といわれてきた。いや戦争だって古来、「最後の政治手段」といわれてきた。だから「政治目的だから騒ぐな」というのは実はナンセンスなのだ。盧武鉉発言が金正日擁護論といわれるゆえんである。
もうひとつ記憶に残しておくべき発言がある。今年の「八・一五光復節記念演説」だ。日本に対しては相変わらず「謝罪と反省」を要求する一方で、北朝鮮に対しては「広い心と長い目で過去を許し、和解と協力の道に進まなければならない」と述べているのだ。
韓国は日本との、1965年の国交正常化とその後の「和解と協力」によって発展してきたのは国際的常識だ。なのにまだ「謝罪と反省」をしろという。ところが韓国に対し朝鮮戦争や、大統領暗殺計画など、多くの国家テロの被害を与えてきた北朝鮮は、「謝罪と反省」は求めず、ひたすら許し和解・協力すべきというのだ。これもすごい発想だ。
こうみてくると韓国における「謝罪と反省」というのは、実はきわめて政治的で軽い(?)ものということになる。だから日本としては、そんなに悩む必要はないかもしれない。
それに盧政権は日本に対してはよく「人類普遍の価値にのっとって……」とか何とか教訓を垂れるが、北朝鮮の金正日政権に同じく「人類普遍の価値」をあてはめて批判、非難するということは決してない。こうしたご都合主義を確認できたという意味で「八・一五演説」は貴重だし、日本にとってはありがたい(?)ものだった。
SAPIO 10月11日号(9月27日発売) 79ページ
日本的優しさを理解出来ないで、つけあがってます。
「甘え」とは可愛らしい言い方ですね。通常はキチ○イと言います。
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黒田勝弘のソウルの風
第37回 学生運動レベルの国際感覚が生み出す外遊先での盧武鉉”迷言集”
相変わらず盧武鉉大統領の”金正日擁護”が続いている。盧政権は先に、日本海における北朝鮮のミサイル発射に対し、北朝鮮ではなく北朝鮮を批判する日本など国際社会を逆に「騒ぎすぎだ」と批判し、さらに将来の有事対策を議論すべきだとする日本の国内世論を逆に「侵略主義的」と非難している。
現在、世界で日本を「侵略主義的」などと非難している国など韓国しかないだろう。いや北朝鮮があったか。今やあの中国でさえそんな”浮世離れ”したことはいわない。学生運動レベルといおうか、親北・左翼団体レベルの国際感覚だ。
”NGO(非政府組織)政権”と皮肉られる盧政権の面目躍如といったところだが、日本が相手というと何をいっても構わないという、相変わらずの”甘えの構造”でもある。こんな非難は国際感覚というより、国内感覚といったほうがいいかもしれない。こうした風景が、かねて筆者(黒田)がいっている「日本離れできない韓国」という意味である。
その盧武鉉大統領が最近、ヨーロッパ外遊の際にフィンランドのヘルシンキでこんなことを言っている。記者会見で北朝鮮のミサイル問題を質問された時の答えである。
「北韓(北朝鮮)のテポドン・ミサイル試験発射は武力攻撃のためのものではなく、政治目的のために発射したものと考えている。そのミサイルは米国まで届くにはあまりにみすぼらしく、韓国向けにはあまりにも大きい」
よく言っていただきました。そうなんです。米国向けでもなく、韓国向けでもない北朝鮮のミサイルは、実は日本向け(!)なんです。だから日本は「日本向けの可能性がある」と安保上の脅威を感じ、制度上の敵基地攻撃論の可否をふくむ、有事対策の議論の必要性を議論しているのです。
外遊先での盧大統領の発言はいつも面白い。就任直後の米国訪問の際は、北朝鮮の核開発について「一理ある」と発言し話題になっている。だからソウル駐在の外国人記者には、ニュースメーカー・盧大統領の外遊は、期待いっぱいだ。
ヘルシンキでは北朝鮮の核実験の可能性についても質問され、これには「今のところいかなる情報も持ち合わせていない」とかわしていたが、核実験をやっても「あれは武力攻撃のためではなく政治目的のためのものだから騒ぐ必要ない」ということだろう。
そういえば核兵器は「国際政治上の最大の外交手段(つまり政治手段)」といわれてきた。いや戦争だって古来、「最後の政治手段」といわれてきた。だから「政治目的だから騒ぐな」というのは実はナンセンスなのだ。盧武鉉発言が金正日擁護論といわれるゆえんである。
もうひとつ記憶に残しておくべき発言がある。今年の「八・一五光復節記念演説」だ。日本に対しては相変わらず「謝罪と反省」を要求する一方で、北朝鮮に対しては「広い心と長い目で過去を許し、和解と協力の道に進まなければならない」と述べているのだ。
韓国は日本との、1965年の国交正常化とその後の「和解と協力」によって発展してきたのは国際的常識だ。なのにまだ「謝罪と反省」をしろという。ところが韓国に対し朝鮮戦争や、大統領暗殺計画など、多くの国家テロの被害を与えてきた北朝鮮は、「謝罪と反省」は求めず、ひたすら許し和解・協力すべきというのだ。これもすごい発想だ。
こうみてくると韓国における「謝罪と反省」というのは、実はきわめて政治的で軽い(?)ものということになる。だから日本としては、そんなに悩む必要はないかもしれない。
それに盧政権は日本に対してはよく「人類普遍の価値にのっとって……」とか何とか教訓を垂れるが、北朝鮮の金正日政権に同じく「人類普遍の価値」をあてはめて批判、非難するということは決してない。こうしたご都合主義を確認できたという意味で「八・一五演説」は貴重だし、日本にとってはありがたい(?)ものだった。
SAPIO 10月11日号(9月27日発売) 79ページ
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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