賎人、自己弁護する
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2009/04/03 07:29 投稿番号: [86 / 1443]
【噴水台】お父様、お母様
「父母の日」になると歌う歌がある。 「出産の時の苦しさをすべて忘れて…」妊娠した母が子を産んで育てる過程での苦労が強く込められている曲だ。 歌詞の相当部分は、仏家で代々伝えられている「父母恩重経」の内容と似ている。
この経典に出てくる父母の恩恵は誰でもすぐに共感できる内容だ。 産着の中の赤ん坊を乾いた敷物の上に寝かせて、本人はどんな所でも厭わない犠牲の精神、終生子どもの安全を心配して骨を折る父母の苦労を込めている。
硬いものは噛みつぶしてから子どもに食べさせ、まずいものは自分が食べるという絶対的な愛も見られる。 釈迦は、これほど大きな父母の恩を返すのは非常に難しいことだと教える。 仏経の記録をたどらなくても父母の恩が計り知れないほど大きいということは、地球上の考えのある存在ならばみんな知っている。
東洋の墨子は父母に対する恭敬を兼愛と説いた。 他人の父母も自分の父母のように感じれば世界の平和を実現できない理由はない、という主張だ。 墨子の思想を貫通する「自他の合一」精神だ。 東洋版博愛主義の嚆矢と見なすことができる。
孔子の教えを継ぐ孟子はこれに対して攻撃を浴びせる。 「墨家の兼愛は自分の父母を否定するもので、無父無君はむしろ禽獣」というような批判だ。 孟子は「自分の父母をもてなした後、他人の父母にもその恭敬を拡大しなければならない」と主張する。 未熟な博愛主義ではなく、自分から始まって他人に及ぶという意味の「推己及人」が正しいということだ。
現実的に見ると孟子の言葉のほうがはるかに説得力を持つ。 しかし家族中心主義の枠を2000年以上も維持しながら、家族利己主義に深く陥没してきた東洋社会の自画像を見ると、墨子を決して過小評価することはできない。 儒教中心の価値観に抑えらながらも珍しく博愛の精神を見せた墨子は非常に真摯な思想家だ。
最近、韓国社会で年配の人を呼ぶ呼称が「お父様、お母様」に変わっている。 他人の父母も自分の父母と考えるという父母愛が込められた呼称だ。 テレビ進行者が好んで使っていた言葉がいつの間にか社会全般に広まって定着していく雰囲気だ。
呼称のインフレーションとしてこれを考える人も少なくない。 しかし自分の傍らを他人に譲ることをしなかった韓国社会の雰囲気を勘案すると、ひとまず喜ばしい。 呼称にとどまらず、そこに真心が加わればもっとよい。 自他が幸福な共同体を実現する社会意識の発露であるから。
劉光鍾(ユ・クァンジョン)論説委員/中央日報 Joins.com
2009.04.02 17:57:20
そうかいそうかい。
日本を巻き込むのだけはやめてくれ。
「父母の日」になると歌う歌がある。 「出産の時の苦しさをすべて忘れて…」妊娠した母が子を産んで育てる過程での苦労が強く込められている曲だ。 歌詞の相当部分は、仏家で代々伝えられている「父母恩重経」の内容と似ている。
この経典に出てくる父母の恩恵は誰でもすぐに共感できる内容だ。 産着の中の赤ん坊を乾いた敷物の上に寝かせて、本人はどんな所でも厭わない犠牲の精神、終生子どもの安全を心配して骨を折る父母の苦労を込めている。
硬いものは噛みつぶしてから子どもに食べさせ、まずいものは自分が食べるという絶対的な愛も見られる。 釈迦は、これほど大きな父母の恩を返すのは非常に難しいことだと教える。 仏経の記録をたどらなくても父母の恩が計り知れないほど大きいということは、地球上の考えのある存在ならばみんな知っている。
東洋の墨子は父母に対する恭敬を兼愛と説いた。 他人の父母も自分の父母のように感じれば世界の平和を実現できない理由はない、という主張だ。 墨子の思想を貫通する「自他の合一」精神だ。 東洋版博愛主義の嚆矢と見なすことができる。
孔子の教えを継ぐ孟子はこれに対して攻撃を浴びせる。 「墨家の兼愛は自分の父母を否定するもので、無父無君はむしろ禽獣」というような批判だ。 孟子は「自分の父母をもてなした後、他人の父母にもその恭敬を拡大しなければならない」と主張する。 未熟な博愛主義ではなく、自分から始まって他人に及ぶという意味の「推己及人」が正しいということだ。
現実的に見ると孟子の言葉のほうがはるかに説得力を持つ。 しかし家族中心主義の枠を2000年以上も維持しながら、家族利己主義に深く陥没してきた東洋社会の自画像を見ると、墨子を決して過小評価することはできない。 儒教中心の価値観に抑えらながらも珍しく博愛の精神を見せた墨子は非常に真摯な思想家だ。
最近、韓国社会で年配の人を呼ぶ呼称が「お父様、お母様」に変わっている。 他人の父母も自分の父母と考えるという父母愛が込められた呼称だ。 テレビ進行者が好んで使っていた言葉がいつの間にか社会全般に広まって定着していく雰囲気だ。
呼称のインフレーションとしてこれを考える人も少なくない。 しかし自分の傍らを他人に譲ることをしなかった韓国社会の雰囲気を勘案すると、ひとまず喜ばしい。 呼称にとどまらず、そこに真心が加わればもっとよい。 自他が幸福な共同体を実現する社会意識の発露であるから。
劉光鍾(ユ・クァンジョン)論説委員/中央日報 Joins.com
2009.04.02 17:57:20
そうかいそうかい。
日本を巻き込むのだけはやめてくれ。
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