Re: 寄付の約束は債務?
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2009/05/18 01:28 投稿番号: [220 / 1443]
>どんな社会にも何らかの倫理規範はあります。支那・朝鮮の特亜社会では儒教倫理です。
朝鮮儒教は宋時代に改変した朱子学です。孔孟の教えとずれているようです。
日本では徳川中期に至るまで朱子学を武士のたしなみとしており、朝鮮通信使が朝貢で来訪時に日本の朱子学者等が朝鮮通信使と意見交換や教えを乞うなどしました。
しかし、徳川中期に儒学者である伊藤仁斎は(1627−1705)、朱などの宋儒は「性」が人間誰でも心底にあり、それを導き出すのものが条理の導き、即ち「理」であるとするに対し、人間の生まれつきそのもの、活動が「性」である。そして普遍妥当な「道」が目指すところであり、「性」と「道」は自動的に直結しているものではなく、「教」即ち孔孟の教えによるものとするとし、朱子学は下策であると「孔孟字義」で説いたそうです。
この論が日本の朱子学者を驚かせたとのことです。それ以降次第に朱子学に対する日本の知識人の思考が変り、国学の発達に繋がったようです。
一方、当時の朝鮮通信使の申維翰は「海遊録」で伊等仁斎の論に対し、性悪の説と同罪、その言に従うものは禽獣草木の性を人道に欲求するとしてバカにしたとのこと。
朱子学は上下二元論に終止した論といわれ、本来の儒学とずれた部分が大きい。それが朝鮮人の性癖にあったのでしょう。
日本人の場合は、朱子学も取捨選択して日本人の合理性にあわせたということで、新渡戸稲造は元々神道にある教え、仁義礼智信などを儒教で確認したに過ぎないと武士道で書いたと思います。
まあ、簡単に言えば
朝鮮に入った宗教や教えは朝鮮式に改竄され劣悪になったということでしょう。
これは メッセージ 216 (melancholy_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/2bf8na1a2fn4zbfma4ohbfbeja47a4ja4a4a4na4aba1a9_1/220.html