Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2010/02/16 21:39 投稿番号: [4348 / 6946]
ペロン大統領やエビータが親日だったことはこのトピでも何度かとりあげたニダ↓
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3610
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3611#under-deli
ちなみに”エビータ”は”エバ”の愛称ニダ、西語的には接尾語ito/itaを名詞につけると
親しみを込めた言い回し(あるいは小さいという意味も)になるニダ、
セニョーラ(大人の女性)→セニョリータ(お嬢さん)、
シブサル(シブ猿奴)→シブサリート(シブ猿ちゃん)
サルクジ(猿クジ奴)→サルクジート(猿クジちゃん)
まあ、”世界の嫌われ者”鮮奴に親しみをもつ国家元首など永遠に現れないことは
確実ニダ、そういえばペロン大統領と同時代のパラグアイ大統領アルフレッド・ストロエスネルも
有名な親日家だったニダ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8D%E3%83%AB
>誕生日が明治天皇が崩御した年と同じであったため、
>自らを「明治大帝の生まれ変わり」と信じていたと言われ、大の親日家であった。
おまけニダ↓
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k.kashimura/15-002-evita.html
>エビータが親日家であった事は、余り知られていない。また、大統領のペロンも陸軍軍人として
>日露戦争に深い関心を持っていたようであり、日本海海戦や旅順要塞の攻防戦などを研究していたと
>言われている。ペロンはこの戦争で、象のように巨大なロシアを破った鼠のような日本の勇気に敬服し、
>さらにはその後にアルゼンチンに移住してきた日本人の勤勉さと真面目さに感服した。
>そして、このことを公の場でしばしば称えたので、日本人移住者は一般の国民達にも評価されるようになり、
>親日家の アルゼンチン人が増えていった。
>1946年(昭和21年)3月28日(選挙は2月24日に行なわれた)に登場したペロン政権は、
>戦後の日本との関係修復を積極的行なってくれたばかりか、
>世界に先駆けていち早く大量の食料を 援助してくれた。その内容は、1万トン級の船に一杯の小麦粉や食料品、
>それに牛の品種改良用にと6頭の種牛などであった。
>さらには、戦争の為日本に帰っていた大勢の二世達を飛行機で呼び帰してくれるなど、
>大いに親日振りを見せてくれたのである。
>
>日本人に対する評価は、日本人移住者の勤勉さ正直さと言うことばかりではなく、
>エビータが傷つき易い少女期に、日本人移住者から優しく扱われたことが大きな原因の一つになっていると、
>その事実を知る人は 言っている。日本人の勤勉さ正直さを表わすエピソードの一つとして、
>サン・ビセンテにあるペロンの別荘のボーイ、メイド、料理人、庭師などを日本人から募集したことは
>日系社会では有名な話である。
>
>ところが、この店の日本人は溝口氏を始め皆親切で、エビータに対しても優しく礼儀ただしく接し、
>一人前のセニョリータとして扱ってくれた。このような扱いは、それまで多くの人達に蔑まれてきた
>エビータの多感な心に大きな感銘を与えたのである。しかし、この話は極く限られた少数の人しか知らない秘話で、
>日本人でも、店の従業員と三浦氏の家族くらいなものであった。短い期間であったが、
>日本人経営のカフェ店で受けた親切な思い出を胸に秘めたエビータは、
>念願かなってブエノス・アイレスへ出たのである。1935年(昭和10年)、エビータ15歳のときである。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3610
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr&sid=1835396&mid=3611#under-deli
ちなみに”エビータ”は”エバ”の愛称ニダ、西語的には接尾語ito/itaを名詞につけると
親しみを込めた言い回し(あるいは小さいという意味も)になるニダ、
セニョーラ(大人の女性)→セニョリータ(お嬢さん)、
シブサル(シブ猿奴)→シブサリート(シブ猿ちゃん)
サルクジ(猿クジ奴)→サルクジート(猿クジちゃん)
まあ、”世界の嫌われ者”鮮奴に親しみをもつ国家元首など永遠に現れないことは
確実ニダ、そういえばペロン大統領と同時代のパラグアイ大統領アルフレッド・ストロエスネルも
有名な親日家だったニダ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%8D%E3%83%AB
>誕生日が明治天皇が崩御した年と同じであったため、
>自らを「明治大帝の生まれ変わり」と信じていたと言われ、大の親日家であった。
おまけニダ↓
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k.kashimura/15-002-evita.html
>エビータが親日家であった事は、余り知られていない。また、大統領のペロンも陸軍軍人として
>日露戦争に深い関心を持っていたようであり、日本海海戦や旅順要塞の攻防戦などを研究していたと
>言われている。ペロンはこの戦争で、象のように巨大なロシアを破った鼠のような日本の勇気に敬服し、
>さらにはその後にアルゼンチンに移住してきた日本人の勤勉さと真面目さに感服した。
>そして、このことを公の場でしばしば称えたので、日本人移住者は一般の国民達にも評価されるようになり、
>親日家の アルゼンチン人が増えていった。
>1946年(昭和21年)3月28日(選挙は2月24日に行なわれた)に登場したペロン政権は、
>戦後の日本との関係修復を積極的行なってくれたばかりか、
>世界に先駆けていち早く大量の食料を 援助してくれた。その内容は、1万トン級の船に一杯の小麦粉や食料品、
>それに牛の品種改良用にと6頭の種牛などであった。
>さらには、戦争の為日本に帰っていた大勢の二世達を飛行機で呼び帰してくれるなど、
>大いに親日振りを見せてくれたのである。
>
>日本人に対する評価は、日本人移住者の勤勉さ正直さと言うことばかりではなく、
>エビータが傷つき易い少女期に、日本人移住者から優しく扱われたことが大きな原因の一つになっていると、
>その事実を知る人は 言っている。日本人の勤勉さ正直さを表わすエピソードの一つとして、
>サン・ビセンテにあるペロンの別荘のボーイ、メイド、料理人、庭師などを日本人から募集したことは
>日系社会では有名な話である。
>
>ところが、この店の日本人は溝口氏を始め皆親切で、エビータに対しても優しく礼儀ただしく接し、
>一人前のセニョリータとして扱ってくれた。このような扱いは、それまで多くの人達に蔑まれてきた
>エビータの多感な心に大きな感銘を与えたのである。しかし、この話は極く限られた少数の人しか知らない秘話で、
>日本人でも、店の従業員と三浦氏の家族くらいなものであった。短い期間であったが、
>日本人経営のカフェ店で受けた親切な思い出を胸に秘めたエビータは、
>念願かなってブエノス・アイレスへ出たのである。1935年(昭和10年)、エビータ15歳のときである。
これは メッセージ 4347 (coreano_raza_infima さん)への返信です.
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