Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: cuarajhi 投稿日時: 2007/04/25 22:38 投稿番号: [3610 / 6946]
このトピでもいくつかアルゼンチンの故ペロン大統領の親日発言を紹介しましたが、
その他の発言を紹介しておきます。
戦後間もない1949年5月19日にアルゼンチンの日系団体の集会でのペロン大統領の演説↓
「とくに今日の集会から思い出しましたが、私は日本の歴史と知識を得たことから、
二つのことを学びました。日本人が旗を両手にする時、真心を込めて手にしている
ということと、日本の社会が深く伝統を愛していること。それは心の優しさと感謝の
気持ちを持っていることなのです。この二つのものを全世界の人たちに教えなければ
ならないし、それが人類を幸福にさせるはずです。
人間には離れている歳月や距離がどんなものであろうと、忘れてはならないことが
一つある。同胞の団結です。人間は祖国から何千キロ離れていても生き抜くことが
できるが、生まれた地、先祖の骨の埋まる地を忘れることはできない。
それは祖国に感謝する気持ちがあるからです。
この誇りを持って団結する日本人社会が我々と共に生活していることを誇りと
するところです。このアルゼンチンにおいて日本人は我々と同様、わけ隔てない
待遇を受けていると確信しています。我々にとって皆さんは同じアルゼンチン人であり、
同等の権利を持っているのです」
1953年11月24日、在アルゼンチンの日本人会館訪問時のペロン大統領の発言↓
「我々アルゼンチン人は第二次世界大戦が終わった後、世界で最初に君が代を
歌った国であるということを光栄とし、それに幸福を感じている。
そして新興アルゼンチンの国有船も最初にアルゼンチンと日本を結ぶ航路に
就いたが、この時運んだ物資は、重要物資とか画期的な物資とかというもの
ではなく、アルゼンチンが日本に抱いてきた変わりなく偽りのない愛情であったことに
幸福感を感じている」
これは以前にも書いたエピソードですが、アルゼンチンの慈善団体エバ基金(ペロン大統領
夫人のエビータが設立)の援助物資を積んだアルゼンチン国有船「リオ・アグアペイ」号が
1950年5月23日に横浜港に着いた時の話「慣例に従い入港先の国旗をマストに掲げて
着岸した。直ちに米軍のMPが駆けつけ、占領下のため日の丸を降ろせと船長に迫った。
マトビッチ船長は本船上はアルゼンチンの領土だと主張して拒否した。横浜市民は戦いに
破れてから初めて公の場に掲げられた日の丸を見て涙した」
(野村秀治「日本アルゼンチン交流史」)
同じ時期に日本に最も近い国、しかもつい先ほどまで同じ”大日本帝国臣民”であった
某国の民族が(そのミンジョクの名誉の為、特に名を秘す)「ウリらは”戦勝国”ニダ!」と
日本で大暴れ、傍若無人な振る舞い三昧であった・・・・orz
上記とは逆に戦後初めて日本の船「高栄丸」が1950年8月12日にブエノスアイレス港に
入港した時は連合軍総司令部の航海許可はとれたものの日の丸の掲揚は許されて
いなかったにも関わらずアルゼンチン側は好意的に掲揚を認めてくれたとのこと。
「高栄丸」は自粛して掲げない方針を守り「紺色地にDの文字のある航海許可旗を
掲げたのみでブエノスアイレス新港に入ってきた」そうですが。
この船は帰路にエビータ大統領夫人から贈られた被爆地長崎に寄贈するルハン聖母像を
載せて帰国しています。
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今日も迫力が無かった 2007/ 3/25 12:51 [ No.58531 / 58585 ]
投稿者 : shibural7
迫力溢れる爽やかな天罰が早めに来るよう祈る
その他の発言を紹介しておきます。
戦後間もない1949年5月19日にアルゼンチンの日系団体の集会でのペロン大統領の演説↓
「とくに今日の集会から思い出しましたが、私は日本の歴史と知識を得たことから、
二つのことを学びました。日本人が旗を両手にする時、真心を込めて手にしている
ということと、日本の社会が深く伝統を愛していること。それは心の優しさと感謝の
気持ちを持っていることなのです。この二つのものを全世界の人たちに教えなければ
ならないし、それが人類を幸福にさせるはずです。
人間には離れている歳月や距離がどんなものであろうと、忘れてはならないことが
一つある。同胞の団結です。人間は祖国から何千キロ離れていても生き抜くことが
できるが、生まれた地、先祖の骨の埋まる地を忘れることはできない。
それは祖国に感謝する気持ちがあるからです。
この誇りを持って団結する日本人社会が我々と共に生活していることを誇りと
するところです。このアルゼンチンにおいて日本人は我々と同様、わけ隔てない
待遇を受けていると確信しています。我々にとって皆さんは同じアルゼンチン人であり、
同等の権利を持っているのです」
1953年11月24日、在アルゼンチンの日本人会館訪問時のペロン大統領の発言↓
「我々アルゼンチン人は第二次世界大戦が終わった後、世界で最初に君が代を
歌った国であるということを光栄とし、それに幸福を感じている。
そして新興アルゼンチンの国有船も最初にアルゼンチンと日本を結ぶ航路に
就いたが、この時運んだ物資は、重要物資とか画期的な物資とかというもの
ではなく、アルゼンチンが日本に抱いてきた変わりなく偽りのない愛情であったことに
幸福感を感じている」
これは以前にも書いたエピソードですが、アルゼンチンの慈善団体エバ基金(ペロン大統領
夫人のエビータが設立)の援助物資を積んだアルゼンチン国有船「リオ・アグアペイ」号が
1950年5月23日に横浜港に着いた時の話「慣例に従い入港先の国旗をマストに掲げて
着岸した。直ちに米軍のMPが駆けつけ、占領下のため日の丸を降ろせと船長に迫った。
マトビッチ船長は本船上はアルゼンチンの領土だと主張して拒否した。横浜市民は戦いに
破れてから初めて公の場に掲げられた日の丸を見て涙した」
(野村秀治「日本アルゼンチン交流史」)
同じ時期に日本に最も近い国、しかもつい先ほどまで同じ”大日本帝国臣民”であった
某国の民族が(そのミンジョクの名誉の為、特に名を秘す)「ウリらは”戦勝国”ニダ!」と
日本で大暴れ、傍若無人な振る舞い三昧であった・・・・orz
上記とは逆に戦後初めて日本の船「高栄丸」が1950年8月12日にブエノスアイレス港に
入港した時は連合軍総司令部の航海許可はとれたものの日の丸の掲揚は許されて
いなかったにも関わらずアルゼンチン側は好意的に掲揚を認めてくれたとのこと。
「高栄丸」は自粛して掲げない方針を守り「紺色地にDの文字のある航海許可旗を
掲げたのみでブエノスアイレス新港に入ってきた」そうですが。
この船は帰路にエビータ大統領夫人から贈られた被爆地長崎に寄贈するルハン聖母像を
載せて帰国しています。
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今日も迫力が無かった 2007/ 3/25 12:51 [ No.58531 / 58585 ]
投稿者 : shibural7
迫力溢れる爽やかな天罰が早めに来るよう祈る
これは メッセージ 3603 (cuarajhi さん)への返信です.
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