Re: 或る掲示板猿の選択
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2007/01/11 00:30 投稿番号: [3476 / 6946]
昨晩「硫黄島からの手紙」を見てきました。
いわゆる娯楽映画ではなく「戦場に神はいない(箴言)」壮絶な戦闘を淡々と
手紙の紹介とともに描いている作品です。
以下、山岡荘八著「小説太平洋戦争」より・・。
━「司令部前の式場から太平洋戦争当時、七万の米軍と二万三千の日本軍が、地獄の死闘を
くりひろげていった、どす黒いハダの摺鉢山がはっきりと見えた。
島を返す米軍も、受け取る日本軍も、その惜別と感激を表情には出さない。
どこまでも、規律正しい静かな返還式・・・(読売)」と、報じられている。
しかしこの静かにあがる日章旗をテレビで見ている日本人で、泣かないものは
ほとんどなかった。そのはずである。アメリカ側の戦死傷の合計は二万五千。
わが方もまたこの小さな島で二万二千余の将兵が玉砕してしまっているのだ。
おそらく後世の人々は、このわずか八平方マイルほどの小さな孤島で、十万人近い
両軍の兵が地獄の死闘を展開したなどと云っても信じられなくなるに違いない。
この「小説太平洋戦争」では栗林中将のエピソードがかなり紹介されています。
(著者自身が硫黄島玉砕直後に大本営から栗林中将の伝記を週間朝日に掲載するよう命じられ
たとあります)
栗林中将が末娘さんに当てたヒヨコのエピソードの手紙やカラの皿のエピソードは映画中でも
紹介されていました。さらに最後の大本営への決別電文での中将の句のうちの一つ
”国のため重き務めを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき”も・・。
最後の総攻撃での栗林中将の訓示は映画とは異なり「小説太平洋戦争」ではこう記述されています。
━「・・・たとえ草を噛み、石をかじり、野に伏すとも断じて戦う!この断じて戦う
ところに死中おのずから活あるを信じる。事ここに至っては一人百殺!
これ以外にない。本職は諸君の忠誠を信じている。私のあとに続いて下さい!」
栗林中将の最後も映画では拳銃で自決していましたが、「小説太平洋戦争」では
大腿部に機銃弾を被弾し司令部付の兵に背負われて前進指揮を続けているうちに
出血多量でこと切れ遺骸は遺命のまま埋められたとあります。米軍は熱心に中将の
遺骸を捜索したが発見できなかったとも。
硫黄島に限りませんが”祖国を守る防人”として戦って散っていった人々があればこそ
今のあらゆる意味での大国の日本の礎があります。
どこぞの民族(その民族の名誉の為、特に名を秘す)のように強大国に併呑されんとした
未曾有の国難を前に祖国を守ろうともせず「ウリらを併合してくださいませニダ、イルボン様」
と擦り寄ったあまりにも情けない先祖をもったら世界中の人から「コイツら自分の国も守ろうと
しなかった腰抜け民族、しかもその恥ずかしい歴史を偽り”ウリらは戦勝国ニダ”とは
笑止千万!」と嘲られるのは確実、そう云われてもその某ミンジョクの人間は
奥歯をかみ締めてひたすら耐え、そのあまりに奥歯が砕けても血とともに飲み込んでも耐え、
情けない先祖の不始末のツケを耐え忍ばなければなりませんから・・。
そういえば映画中で長野出身の栗林中将の故郷の子供たちが唄う歌に中将がじっと聞き入る
シーンがありました。私も半分信州人の血をひくいわゆる?”パン・シンシュージン”
だに(ニダにあらず)、ここはやはり信州の美しさを歌った「ふるさと」を流して
欲しかったずら。
日本人なら誰も知っているこの歌は私も南米で暮らしていたときにラジオジャパンの
短波放送で聞いて思わず涙したことがあったニダ。
♪うな〜ぎ おいし〜 かばやき〜
ちょっと違うかもニダ、ケンチャナヨ〜
--------------------
1億円って誰が誰に払う約束だった
2006/12/16 13:46
投稿者: shibural7
?
いわゆる娯楽映画ではなく「戦場に神はいない(箴言)」壮絶な戦闘を淡々と
手紙の紹介とともに描いている作品です。
以下、山岡荘八著「小説太平洋戦争」より・・。
━「司令部前の式場から太平洋戦争当時、七万の米軍と二万三千の日本軍が、地獄の死闘を
くりひろげていった、どす黒いハダの摺鉢山がはっきりと見えた。
島を返す米軍も、受け取る日本軍も、その惜別と感激を表情には出さない。
どこまでも、規律正しい静かな返還式・・・(読売)」と、報じられている。
しかしこの静かにあがる日章旗をテレビで見ている日本人で、泣かないものは
ほとんどなかった。そのはずである。アメリカ側の戦死傷の合計は二万五千。
わが方もまたこの小さな島で二万二千余の将兵が玉砕してしまっているのだ。
おそらく後世の人々は、このわずか八平方マイルほどの小さな孤島で、十万人近い
両軍の兵が地獄の死闘を展開したなどと云っても信じられなくなるに違いない。
この「小説太平洋戦争」では栗林中将のエピソードがかなり紹介されています。
(著者自身が硫黄島玉砕直後に大本営から栗林中将の伝記を週間朝日に掲載するよう命じられ
たとあります)
栗林中将が末娘さんに当てたヒヨコのエピソードの手紙やカラの皿のエピソードは映画中でも
紹介されていました。さらに最後の大本営への決別電文での中将の句のうちの一つ
”国のため重き務めを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき”も・・。
最後の総攻撃での栗林中将の訓示は映画とは異なり「小説太平洋戦争」ではこう記述されています。
━「・・・たとえ草を噛み、石をかじり、野に伏すとも断じて戦う!この断じて戦う
ところに死中おのずから活あるを信じる。事ここに至っては一人百殺!
これ以外にない。本職は諸君の忠誠を信じている。私のあとに続いて下さい!」
栗林中将の最後も映画では拳銃で自決していましたが、「小説太平洋戦争」では
大腿部に機銃弾を被弾し司令部付の兵に背負われて前進指揮を続けているうちに
出血多量でこと切れ遺骸は遺命のまま埋められたとあります。米軍は熱心に中将の
遺骸を捜索したが発見できなかったとも。
硫黄島に限りませんが”祖国を守る防人”として戦って散っていった人々があればこそ
今のあらゆる意味での大国の日本の礎があります。
どこぞの民族(その民族の名誉の為、特に名を秘す)のように強大国に併呑されんとした
未曾有の国難を前に祖国を守ろうともせず「ウリらを併合してくださいませニダ、イルボン様」
と擦り寄ったあまりにも情けない先祖をもったら世界中の人から「コイツら自分の国も守ろうと
しなかった腰抜け民族、しかもその恥ずかしい歴史を偽り”ウリらは戦勝国ニダ”とは
笑止千万!」と嘲られるのは確実、そう云われてもその某ミンジョクの人間は
奥歯をかみ締めてひたすら耐え、そのあまりに奥歯が砕けても血とともに飲み込んでも耐え、
情けない先祖の不始末のツケを耐え忍ばなければなりませんから・・。
そういえば映画中で長野出身の栗林中将の故郷の子供たちが唄う歌に中将がじっと聞き入る
シーンがありました。私も半分信州人の血をひくいわゆる?”パン・シンシュージン”
だに(ニダにあらず)、ここはやはり信州の美しさを歌った「ふるさと」を流して
欲しかったずら。
日本人なら誰も知っているこの歌は私も南米で暮らしていたときにラジオジャパンの
短波放送で聞いて思わず涙したことがあったニダ。
♪うな〜ぎ おいし〜 かばやき〜
ちょっと違うかもニダ、ケンチャナヨ〜
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1億円って誰が誰に払う約束だった
2006/12/16 13:46
投稿者: shibural7
?
これは メッセージ 1 (shibural7 さん)への返信です.
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