遠くて近い国アルゼンチン③
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2004/05/16 23:14 投稿番号: [1867 / 6946]
太平洋戦争が開始された翌月、(42年1月)ブラジルで開催された米州外相会議にて
アメリカは「米州一国に対する攻撃は他の米州全てに対する攻撃とみなす」とする条項
(ハバナ宣言)をタテにアメリカ以外の米州諸国に枢軸国との”断交決議”を採択させようと
しましたが、アルゼンチン、チリの強い反対にあい、アメリカは”断交勧告”と譲歩せざるを
えませんでした。ラテンアメリカ諸国の多くは枢軸国への断交ないし宣戦布告をしましたが、
(チリは43年1月断交)アルゼンチンは世界で一番最後に断交(44年1月)、
宣戦布告(45年3月)した国でした。
そういうわけで太平洋戦争中のアルゼンチンは日本にとって貴重な情報源であり、首都
ブエノスアイレスを拠点として米国・ラテンアメリカ諸国の状況をさぐる情報スパイ網を
広げていました。米国公文書によると「ブエノスアイレスからの情報は状況分析をする
うえで日本外務省が何度か絶賛したほど、その貢献度は大きかった。ブエノスアイレスにあった
日本大使館を利用、軍事・貿易・反体制組織・機密の分野にわたる情報収集活動をしていた。
その収集活動の優秀なスタッフの一人は同盟通信社の南米支局長津田正夫=戦後の駐アルゼンチン
大使=で政治・経済関係の情報を集めていた。アルゼンチン側の情報提供者の中にはカスティージョ
大統領(40年ー43年)の息子ラモン・カスティージョや駐ペルー・アルゼンチン大使の息子
エドアルド・マルモルがいた。情報収集活動の主な目的の一つは米国の生産能力、商船隊や
海軍船舶の勢力などについてデータを集めることだった」そうです。
ブエノスアイレスの日本大使館の海軍武官室付として横堀隆一氏
(叔父がミッドウエー海戦で戦死した山口多聞少将、この叔父の口ききで三井物産に入社)
が白金・ボールベアリング・皮革といった戦略物資の買い付けに調達に奔走していたのも
この頃でした。
--------------------
投稿者: shibural7 (1歳/男性/kr)
良く周りから言われるが、
私の顔はポール ニューマンに似ってて
彼に負けない位美しい瞳持ってるんですて。
これは メッセージ 1863 (gades_pluton_1930 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/0bfa4k7gbca8hd1na4naaabr_1/1867.html