>毒食らわば皿まで・・・。
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2004/05/09 12:08 投稿番号: [1856 / 6946]
>そして【山本五十六】といえば、世界で初めて、航空機により戦艦を撃沈せしめ、その当時懐疑的であった、
>海上戦闘における航空機の優勢を証明した(航空機決戦施行を実践した)提督でありました。
その少し前にロイヤルネービーがイタリアのタラント港に停泊中の戦艦3隻を航空母艦から発進した
雷撃機により撃沈破しており、地球の裏側からこれを注視していたのが山本提督でした。
この出来事は来るべき航空機優位時代を予告するものだったのですが、米国海軍その他の国の海軍で
この出来事を真剣に検討・分析する提督はなくただ山本提督のみが注目したのでした。
もっとも提督は第1次世界大戦に登場した航空機に既に注目、将来の戦争のカギを握るのは航空機である
ことを認識していたそうですが。それゆえ創成期の海軍航空隊訓練センターである霞ヶ浦航空隊の教頭も
務めています。
>米軍のアナポリスを見学した時には、歴代の海軍偉人列伝の中に、山本五十六提督の肖像画が
>(当然東郷元帥もある)が飾られており、思わず感動した物でした。
山本提督が米国海軍からも評価されていたとは知りませんでしたが、アメリカ人(に限らず世界どこでも。
例外として某半島の心が狭く人間の器が極めて小さい民族)はたとえ敵として戦った人間でも
有能であれば素直に評価しますね。山本提督に対する後世の歴史家の評価は二分しますが、私は
リーダーシップに恵まれ古い固定観念に縛られない柔軟な発想ができた優れた提督だったと思います。
真珠湾攻撃の発案者は山本提督自身であり(通常の海軍トップであれば最後の決裁のみ)、
彼自身、米国ハーバード大学に留学し、メキシコにも油田(航空機燃料として注目していた)の見学にまで
でかけていました。
ミッドウエー作戦も山本提督の主導でしたが、兵法家の忌む”兵力分散”をしてしまったのは痛恨のかぎり
でした。山本提督はミッドウエー島の占領など二の次であり、これをエサに米空母を誘き出し撃滅、
が目的だったのですが、最初から米機動部隊と会敵するもの、と決めて当時使用可能な空母及び
艦載機搭乗員を全て一つに集中していたら、いかに米国海軍でも我彼の兵力差・訓練度の差より
敗退しかなかったのでは?まあ、歴史に”もし”は許されませんが・・・。
山本提督がギャンブル好き(米国でも有名だった)なのは広く知られていますが、(しかし酒は飲まない)
その人間臭い?一面が親しみを感じさせます。「やってみせ、 言ってきかせて、 させてみせ、
誉めてやらねば、人は動かじ」とは提督の有名な言葉ですが、やはり山本提督は”人に将たる器”だった
と思います。
>あの半島には、例え、かつては敵国であるが、その敵国に対し賞賛されるべき人物がいたのでしょうか?
私も知りたいですね、人材不毛の某半島国からそんな逸材が輩出していたならば。
まあ、東郷元帥や山本元帥クラスの軍人は永久に某半島国からはでないのはたしかです。
以下に太平洋戦争当時の米国太平洋方面総司令官チェスター・ニミッツ元帥の言葉を引用しておきます。
「私は日露戦争後、、日本を遠洋航海で訪れ、東郷元帥に会って全身が震える感動を覚えた。以来、
東郷元帥こそ私の・・いや、我々米国海軍士官の憧れであり、東郷元帥の後輩達と太平洋で雌雄を決する
のが念願であった」
最後に私が昨年末にこのトピに投稿したものをここにコピーしておきます。
>最近の投稿をみていて思い出したのですが、この「日進」には
>アルゼンチン海軍の観戦武官が乗り組んでいました。
>彼こそ大の親日家として知られ後にアルゼンチン海軍の総司令官や
>海軍大臣を務めたドメック・ガルシア氏です。後に日本とアルゼンチンの
>海軍のトップになる人物2人(山本、ガルシア)が同じ軍艦に乗り組み
>「日本海海戦」に参加した、というのは偶然というには不思議な
>いくつもある日本とアルゼンチンの歴史的な縁の一つでしょう。
>このドメック・ガルシア氏は日亜(日本アルゼンチン)文化協会
>(アルゼンチン)を以前に他トピで紹介した日本人、榛葉氏と共に
>創設(1933年)したことでも知られています。また日露戦争での
>観戦武官としての体験から日本や日本人のいろいろな意味での優秀性を
>本国アルゼンチンに報告し、これらの報告書は1998年の日本
>アルゼンチン修好百周年を記念して日本語に翻訳され、
>「アルゼンチン観戦武官の記録」として出版されたそうです。
--------------------
投稿者: shibural7 (1歳/男性/kr)
良く周りから言われるが、
私の顔はポール ニューマンに似ってて
彼に負けない位美しい瞳持\xA4
>海上戦闘における航空機の優勢を証明した(航空機決戦施行を実践した)提督でありました。
その少し前にロイヤルネービーがイタリアのタラント港に停泊中の戦艦3隻を航空母艦から発進した
雷撃機により撃沈破しており、地球の裏側からこれを注視していたのが山本提督でした。
この出来事は来るべき航空機優位時代を予告するものだったのですが、米国海軍その他の国の海軍で
この出来事を真剣に検討・分析する提督はなくただ山本提督のみが注目したのでした。
もっとも提督は第1次世界大戦に登場した航空機に既に注目、将来の戦争のカギを握るのは航空機である
ことを認識していたそうですが。それゆえ創成期の海軍航空隊訓練センターである霞ヶ浦航空隊の教頭も
務めています。
>米軍のアナポリスを見学した時には、歴代の海軍偉人列伝の中に、山本五十六提督の肖像画が
>(当然東郷元帥もある)が飾られており、思わず感動した物でした。
山本提督が米国海軍からも評価されていたとは知りませんでしたが、アメリカ人(に限らず世界どこでも。
例外として某半島の心が狭く人間の器が極めて小さい民族)はたとえ敵として戦った人間でも
有能であれば素直に評価しますね。山本提督に対する後世の歴史家の評価は二分しますが、私は
リーダーシップに恵まれ古い固定観念に縛られない柔軟な発想ができた優れた提督だったと思います。
真珠湾攻撃の発案者は山本提督自身であり(通常の海軍トップであれば最後の決裁のみ)、
彼自身、米国ハーバード大学に留学し、メキシコにも油田(航空機燃料として注目していた)の見学にまで
でかけていました。
ミッドウエー作戦も山本提督の主導でしたが、兵法家の忌む”兵力分散”をしてしまったのは痛恨のかぎり
でした。山本提督はミッドウエー島の占領など二の次であり、これをエサに米空母を誘き出し撃滅、
が目的だったのですが、最初から米機動部隊と会敵するもの、と決めて当時使用可能な空母及び
艦載機搭乗員を全て一つに集中していたら、いかに米国海軍でも我彼の兵力差・訓練度の差より
敗退しかなかったのでは?まあ、歴史に”もし”は許されませんが・・・。
山本提督がギャンブル好き(米国でも有名だった)なのは広く知られていますが、(しかし酒は飲まない)
その人間臭い?一面が親しみを感じさせます。「やってみせ、 言ってきかせて、 させてみせ、
誉めてやらねば、人は動かじ」とは提督の有名な言葉ですが、やはり山本提督は”人に将たる器”だった
と思います。
>あの半島には、例え、かつては敵国であるが、その敵国に対し賞賛されるべき人物がいたのでしょうか?
私も知りたいですね、人材不毛の某半島国からそんな逸材が輩出していたならば。
まあ、東郷元帥や山本元帥クラスの軍人は永久に某半島国からはでないのはたしかです。
以下に太平洋戦争当時の米国太平洋方面総司令官チェスター・ニミッツ元帥の言葉を引用しておきます。
「私は日露戦争後、、日本を遠洋航海で訪れ、東郷元帥に会って全身が震える感動を覚えた。以来、
東郷元帥こそ私の・・いや、我々米国海軍士官の憧れであり、東郷元帥の後輩達と太平洋で雌雄を決する
のが念願であった」
最後に私が昨年末にこのトピに投稿したものをここにコピーしておきます。
>最近の投稿をみていて思い出したのですが、この「日進」には
>アルゼンチン海軍の観戦武官が乗り組んでいました。
>彼こそ大の親日家として知られ後にアルゼンチン海軍の総司令官や
>海軍大臣を務めたドメック・ガルシア氏です。後に日本とアルゼンチンの
>海軍のトップになる人物2人(山本、ガルシア)が同じ軍艦に乗り組み
>「日本海海戦」に参加した、というのは偶然というには不思議な
>いくつもある日本とアルゼンチンの歴史的な縁の一つでしょう。
>このドメック・ガルシア氏は日亜(日本アルゼンチン)文化協会
>(アルゼンチン)を以前に他トピで紹介した日本人、榛葉氏と共に
>創設(1933年)したことでも知られています。また日露戦争での
>観戦武官としての体験から日本や日本人のいろいろな意味での優秀性を
>本国アルゼンチンに報告し、これらの報告書は1998年の日本
>アルゼンチン修好百周年を記念して日本語に翻訳され、
>「アルゼンチン観戦武官の記録」として出版されたそうです。
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投稿者: shibural7 (1歳/男性/kr)
良く周りから言われるが、
私の顔はポール ニューマンに似ってて
彼に負けない位美しい瞳持\xA4
これは メッセージ 1854 (chonkochonkorin さん)への返信です.
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