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Carl Gustaf Emil von Mannerheim (その4)

投稿者: gades_pluton_1930 投稿日時: 2004/01/13 07:30 投稿番号: [1350 / 6946]
(#1317からの続き)

マンネルヘイムについての記述というよりは、
フィンランド史全般の記述になってしまっていますが(苦笑)。

さて。
前回の記述といささか重複しますが、
1809年にフィンランドがロシア領となってから間もなくの1812年、
ナポレオン率いるフランス軍がロシアに攻め込みます。
ロシア皇帝アレクサンドル1世(ロマノフ王朝)は、首都サンクト・ペテルブルクを捨てて、
モスクワそして更には東方への退避を余儀なくされました。
しかし、ロシア軍の焦土作戦や、フランス軍の冬への備えが十分でなかったこと等が原因で、
フランス軍は潰走し、ナポレオンは没落への道を歩むことになります。

この戦争は、ロシアでは「祖国戦争」(Отечественная   война)と呼ばれています。
レフ・トルストイの小説「戦争と平和」(Война   и   мир)や
ピョートル・チャイコフスキー作曲の大序曲「1812年」の題材となりました。
(「戦争と平和」には、ナポレオンやアレクサンドル1世も登場します。)

「ナポレオンを倒した国」として、ヨーロッパ諸国の中でロシアの発言力は増大します。
1815年のウィーン会議(ナポレオン絡みの戦争の講和会議)で、
ロシアは会議を意のままに進め、引き続いてのフィンランド領有が認められました。

スウェーデン領時代のフィンランドは、単にいくつかの県の集まりでしかありませんでしたが、
ロシアは、フィンランドを「自治権をもつ大公国」という形態で統治しました。
フィンランド大公は、ロシア皇帝が兼任し、
フィンランドには、大公の代理人として、フィンランド総督がおかれました。

フィンランド大公国の最高行政機関は、
フィンランド人のみから構成されるセナーッティ(Senaatti)と呼ばれるものでした。
フィンランドに関連する事項は、
ヘルシンキのフィンランド総督とセナーッティ、
サンクト・ペテルブルクに常駐するフィンランドの国務大臣と、
フィンランド大公(ロシア皇帝)の間で決定されました。
ロシア帝国政府は、フィンランドの国内政治に介入することができませんでした。

歴代のフィンランド大公は、下記の5人です。

アレクサンドル1世(Alexandr I、Александр I、在位1809-1825、ロシア皇帝としては在位1801-1825)
ニコライ1世(Nikolai I、Николай I、在位1825-1855)
アレクサンドル2世(Alexandr II、Александр II、在位1855-1881)
アレクサンドル3世(Alexandr III、Александр III、在位1881-1894)
ニコライ2世(Nikolai II、Николай II、在位1894-1917)

結局、ロシア革命まで「フィンランド大公国」は存続しました。

フィンランドには、ロシア正教が流入したものの、
ルター派教会はスウェーデン領時代と同様の地位を保持しました。
また、言語においては、フィンランドの公用語としてのスウェーデン語の地位も変わりませんでした。
しかし、その一方で、フィンランド語が、文章語としての体裁を確立していきます。
1835年には、エリアス・レンロート(Elias Loennrot、1802-1884)によって、
フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」(Kalevala)が出版されました。
これ以後、フィンランド語の地位向上のための運動が盛んになっていきます。

(続く)

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投稿者: shibural7 (1歳/男性/kr)
韓国に住んでる者です。
私はコメディが大好きな、志村けんのファンです。
彼が出演しているコメディ物は(大丈夫だぁ、加トちゃんケンちゃん、、、)テレビでしか見れないものでしょうか。ビデオ化して販売しているとこは無いでしょうか。教えて下さい。
失礼しました。
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