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Carl Gustaf Emil von Mannerheim (その3)

投稿者: gades_pluton_1930 投稿日時: 2004/01/01 21:58 投稿番号: [1317 / 6946]
マンネルヘイムの話、中途半端な形で終わっているので、続けます。

(#1283からの続き)

話を18世紀〜19世紀に戻します。

このころになると、バルト海におけるスウェーデンの覇権に翳りが見えるようになります。
ロシア帝国の台頭があったためです。

西欧文明を取り入れ富国強兵路線をとるロシア皇帝ピョートル1世(Petr I、Пётр I、在位1682-1725)にとり、
バルト海への進出はライフワークでした。
カール12世(Karl XII、在位1697-1718)治世のスウェーデンに対して、戦いを挑みます。
戦争は、1700年から1721年までの期間に及びました。(北方戦争)
北方戦争によって、ロシアは勝利を重ねていき、
この戦争中の1703年に、ピョートル1世は、新たに得たネバ川の河口地帯すなわちフィンランド湾の東岸に都市の建設を始め、
都をモスクワからこの新都市に遷します。
お分かりだと思いますが、これがサンクト・ペテルブルクです。
北方戦争の結果、スウェーデン領だったエストニアとラトビアはロシア領となり、
ロシアは、フィンランド湾の東岸・南岸、バルト海の東岸を獲得しました。

さらに、ロシアは、フィンランド湾の北岸、すなわちフィンランドの獲得の機会をうかがいます。
フランス革命後ヨーロッパ中が戦乱にみまわれると、ヨーロッパ諸国は、
ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte、1769-1821、皇帝在位1804-1814, 1815)率いるフランスの陣営と
それに対抗する陣営に分かれます。
当時のスウェーデン国王グスタフ4世(Gustav IV、在位1792-1809)は、反ナポレオンの旗幟を鮮明にします。

スウェーデン封じ込めを図りたいナポレオンは、
当時まだフランスに宥和的な態度を示していたロシアに対し、スウェーデン攻撃の話を持ちかけます。
この際に、ナポレオンは、
ボスニア湾以東のスウェーデンの領土、すなわちフィンランドをロシアが領有することを認める旨の条件で、
ロシアを誘います。
ロシアの都サンクト・ペテルブルクがスウェーデンとの国境に近すぎたため、
ロシアが緩衝地帯としてフィンランドを所望していたことを見越しての、
ナポレオンの誘いだったわけです。
(なお、フランスとロシアの関係が決裂して、ナポレオンがロシア遠征をおこなうのは、1812年の話です。)

かくして、皇帝アレクサンドル1世(Alexandr I、Александр I、在位1801-1825)率いるロシアは、1809年にスウェーデンと戦って勝ち、
その結果、フィンランドのロシアへの割譲が為されました。
これは、スウェーデンがバルト海での覇権を完全に失った事を意味しました。
グスタフ4世は退位に追い込まれ、スウェーデンの絶対王政時代は幕を閉じます。
その次のカール13世(Karl XIII、在位1809-1818)のもとで、スウェーデンは議会主義・立憲君主制へ体制転換を図っていきました。

(続く)


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