Re: 中国の(人権)状況
投稿者: ari_babajapan 投稿日時: 2009/03/15 08:29 投稿番号: [20 / 66]
米国に逃れた中国人権派弁護士の妻、逃亡生活を語る
高智晟氏は、2005年、胡錦濤国家主席と温家宝総理宛てに法輪功弾圧中止を求める公開書簡を送ったため、当局から一年間の業務停止処分を受けた。更に06年に逮捕され、「国家政権転覆扇動罪」で執行猶予付きの懲役刑を言い渡された。以来一家は軟禁状況だった。
耿さんによると、米国に着いた後、心身共に解放されたように感じたという。「5歳の息子に、お母さん、もう外に出てもいいの。声を出してしゃべってもいいのと聞かれた。私は息子に、しゃべっていいのよ、人に話を掛けられたら答えてもいいのよと話したら、とても安心したようです」。
一家は、数年以来、夫と一緒に当局に軟禁され、24時間の監視を受けてきた。外部との接触も禁止され、完全に隔離された状況だったという。子ともたちは恐怖の中に生きてきた。家に居ても大きな声で話せない。誰かがドアをノックしたら、耿さんはいつもあまりの緊張で身が震いだした。
高弁護士が拘束された期間、5歳の息子は毎日、4人の警官の監視下で幼稚園に通った。息子がいたクラスでは特別に監視カメラがつけられた。そのため、息子が幼稚園で先生とほかの子の親に軽蔑されたという。
更に昨年9月になると、16歳の娘が学校に行くことも禁止された。娘が精神的なストレスを受け、欝に陥りやすくなり、自殺の傾向が現れた。そうした状況で、中国から脱出しようと決めたという。
「私にとって、家族四人が一緒に居られることは一番の幸せです。私たちにとっては家族が一緒に居られることはとても難しいのです。いつ誰がこの家から消えてしまうかもしれないので、私たちはいつも一緒に居る時間を大切にしているのです。だから、子どものため、私は、この一歩を踏み出しのです」。
しかし、この決定を夫に打ち明ける勇気がなかった。1月9日、夫に手紙を残して、耿さんは16歳の娘(格格)と5歳の息子(天宇)を連れて、変装して警察の目を騙し、友人らの助けにより北京を離れた。一週間の路上生活を経て陸地でタイに逃げ出した。
「恐怖と緊張の脱出でした。何度も山を登り、川を渡り、長い道でした。しかしもう後には戻れません。前に進むしかなかったのです。タイに居る間も、部屋から出られませんでした。テレビも見られないし、本も読めないので、子どもの精神は更に不安定になった。娘がある日、部屋から逃げ出した。彼女を見つけた時、3人が一緒に抱えて泣き出した。 やっとここ(米国)について、私が最初に想ったのは、子ともたちが大声でしゃべってもいいのか、天宇がほかの子と自由に遊べるのかということでした」。
どうして高弁護士は一緒に脱走しなかったのか。耿さんによると、高弁護士は24時間の監視を受けて、警察から離れるチャンスが全くなかったという。
「彼は家で軟禁されている状況と一緒だった。現在彼がどこにいるのか分からない。私は彼の状況をとても心配している。」
夫との最後の連絡は、1月9日に家を出た際、残した手紙だった。
「手紙の中に、苦しんでいる子どもたちのために、子どもを連れて家を出るしかないと書いた。彼に事前に話すと、脱走できないと心配していたから」という。
米国に来ている子どもたちがやっと自由な生活と勉強の環境に恵まれたことを喜んでいる耿さんだが、夫の健康がとても気がかりだという。数年間に、拷問などの心身への迫害で高弁護士の身体は非常に衰弱しているという。
「脱出する決心は、私を苦しませました。妻として身体が衰弱した夫の介護をすべきでしたが、家に閉じこめられている子どもたちを考えて、最終的にこの一歩を歩き出したのです。夫が私たちの脱走が成功したことを知ったら、きっと喜ぶと思います。彼にとっても一種の解放であると思います。彼ら(当局)はいつも(子どものことを利用して)私たちを脅してばかりでした」。
耿さんによると、今回の脱出は、多くの支援のおかげで成功したという。
「無事に第三国に来られて、長い間、各界からの関心に感謝を表します。中共当局が私達一家に対して長期に監視・軟禁をしてきたため、私たちの救援はとっても難しかったと思います。救援に関わった人たちは大変な努力を尽くしてくださり、その中、命の危険にさらされた人もいました」。
米国『対華救援協会』の傳希秋さんによると、米国や関連国の政府も高弁護士の家族の救援に尽力した。同時に、傳希秋氏は、中共当局に、高弁護士が2月4日以降、再び拘束されてからの状況について、国際社会への説明を促した。
高智晟氏は、2005年、胡錦濤国家主席と温家宝総理宛てに法輪功弾圧中止を求める公開書簡を送ったため、当局から一年間の業務停止処分を受けた。更に06年に逮捕され、「国家政権転覆扇動罪」で執行猶予付きの懲役刑を言い渡された。以来一家は軟禁状況だった。
耿さんによると、米国に着いた後、心身共に解放されたように感じたという。「5歳の息子に、お母さん、もう外に出てもいいの。声を出してしゃべってもいいのと聞かれた。私は息子に、しゃべっていいのよ、人に話を掛けられたら答えてもいいのよと話したら、とても安心したようです」。
一家は、数年以来、夫と一緒に当局に軟禁され、24時間の監視を受けてきた。外部との接触も禁止され、完全に隔離された状況だったという。子ともたちは恐怖の中に生きてきた。家に居ても大きな声で話せない。誰かがドアをノックしたら、耿さんはいつもあまりの緊張で身が震いだした。
高弁護士が拘束された期間、5歳の息子は毎日、4人の警官の監視下で幼稚園に通った。息子がいたクラスでは特別に監視カメラがつけられた。そのため、息子が幼稚園で先生とほかの子の親に軽蔑されたという。
更に昨年9月になると、16歳の娘が学校に行くことも禁止された。娘が精神的なストレスを受け、欝に陥りやすくなり、自殺の傾向が現れた。そうした状況で、中国から脱出しようと決めたという。
「私にとって、家族四人が一緒に居られることは一番の幸せです。私たちにとっては家族が一緒に居られることはとても難しいのです。いつ誰がこの家から消えてしまうかもしれないので、私たちはいつも一緒に居る時間を大切にしているのです。だから、子どものため、私は、この一歩を踏み出しのです」。
しかし、この決定を夫に打ち明ける勇気がなかった。1月9日、夫に手紙を残して、耿さんは16歳の娘(格格)と5歳の息子(天宇)を連れて、変装して警察の目を騙し、友人らの助けにより北京を離れた。一週間の路上生活を経て陸地でタイに逃げ出した。
「恐怖と緊張の脱出でした。何度も山を登り、川を渡り、長い道でした。しかしもう後には戻れません。前に進むしかなかったのです。タイに居る間も、部屋から出られませんでした。テレビも見られないし、本も読めないので、子どもの精神は更に不安定になった。娘がある日、部屋から逃げ出した。彼女を見つけた時、3人が一緒に抱えて泣き出した。 やっとここ(米国)について、私が最初に想ったのは、子ともたちが大声でしゃべってもいいのか、天宇がほかの子と自由に遊べるのかということでした」。
どうして高弁護士は一緒に脱走しなかったのか。耿さんによると、高弁護士は24時間の監視を受けて、警察から離れるチャンスが全くなかったという。
「彼は家で軟禁されている状況と一緒だった。現在彼がどこにいるのか分からない。私は彼の状況をとても心配している。」
夫との最後の連絡は、1月9日に家を出た際、残した手紙だった。
「手紙の中に、苦しんでいる子どもたちのために、子どもを連れて家を出るしかないと書いた。彼に事前に話すと、脱走できないと心配していたから」という。
米国に来ている子どもたちがやっと自由な生活と勉強の環境に恵まれたことを喜んでいる耿さんだが、夫の健康がとても気がかりだという。数年間に、拷問などの心身への迫害で高弁護士の身体は非常に衰弱しているという。
「脱出する決心は、私を苦しませました。妻として身体が衰弱した夫の介護をすべきでしたが、家に閉じこめられている子どもたちを考えて、最終的にこの一歩を歩き出したのです。夫が私たちの脱走が成功したことを知ったら、きっと喜ぶと思います。彼にとっても一種の解放であると思います。彼ら(当局)はいつも(子どものことを利用して)私たちを脅してばかりでした」。
耿さんによると、今回の脱出は、多くの支援のおかげで成功したという。
「無事に第三国に来られて、長い間、各界からの関心に感謝を表します。中共当局が私達一家に対して長期に監視・軟禁をしてきたため、私たちの救援はとっても難しかったと思います。救援に関わった人たちは大変な努力を尽くしてくださり、その中、命の危険にさらされた人もいました」。
米国『対華救援協会』の傳希秋さんによると、米国や関連国の政府も高弁護士の家族の救援に尽力した。同時に、傳希秋氏は、中共当局に、高弁護士が2月4日以降、再び拘束されてからの状況について、国際社会への説明を促した。
これは メッセージ 1 (sensinkoku_nihon さん)への返信です.
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