Re: 西蔵
投稿者: fgjiyutreyutrteyh 投稿日時: 2012/09/25 14:48 投稿番号: [107 / 141]
中国において、チベットの一部分を表す呼称として「西蔵」という名称が出現したのは、清朝時代である。その当初から、この用語が示す領域は、きわめて明確であった。以下、「西蔵」という呼称をタイトルに掲げた最も初期の文献のひとつである『西蔵記』(18世紀中葉成立)と、清初以来、清朝が収集、蓄積してきたチベット、モンゴル、東トルキスタンの情報を集大成して成立した『外藩蒙古回部王公表伝』(1789年成立。清朝より爵位を受ける「外藩」(モンゴル、東トルキスタン、チベット)の王公貴族の系譜を網羅的に整理、提示したもの)の記述を紹介する。
『西蔵記』では「西蔵」を次のように定義する。
西蔵の一隅は、諸書にはあまり詳しく載っていない。その地は西吐蕃にあたると思われる(考其地則西吐蕃也)。唐は烏斯国といい、明は烏斯蔵(ウーツァン)といい、今は図伯特(トゥベト)といい、また唐古忒(タングート)という。……土人は三部に分けて、康(カム)といい、衛(ウー)といい、蔵(ツァン)という。康はすなわち今の察木多(チャムド)一路である。衛はつまり西蔵、ラサの召(ジョー)一帯である。蔵は後蔵のタシルンポ一帯である。 1.吐蕃は、古代チベットを統一した王朝の名称であるが、元、明時期の中国では、チベット全域を示す総称のひとつとして用いられ続けていた。
2.ここでいう「康」は、チベット語でチベットの東部地方をさす「カム」を音写したものであるが、「疆圉」の項目に「西蔵の東は、バタン(巴塘)の南墩、寧静山に至りて界となす」とある。寧静山(チベット名ブムラ)は、ディチュ河(金沙江)水系の西側の分水嶺であり、すなわち本書でいう「康」はカム地方の西半部分のみを指していることになる。
3.「ジョー」とは、元来はラサのトゥルナン寺の釈尊像(jo bo, チョボ、チョゥォ)がなまったもので、モンゴル語としては、チベットのラサ周辺一帯を指す地域名称となった。「召」はこの「ジョー」を漢字で音写したものである。
『西蔵記』では「西蔵」を次のように定義する。
西蔵の一隅は、諸書にはあまり詳しく載っていない。その地は西吐蕃にあたると思われる(考其地則西吐蕃也)。唐は烏斯国といい、明は烏斯蔵(ウーツァン)といい、今は図伯特(トゥベト)といい、また唐古忒(タングート)という。……土人は三部に分けて、康(カム)といい、衛(ウー)といい、蔵(ツァン)という。康はすなわち今の察木多(チャムド)一路である。衛はつまり西蔵、ラサの召(ジョー)一帯である。蔵は後蔵のタシルンポ一帯である。 1.吐蕃は、古代チベットを統一した王朝の名称であるが、元、明時期の中国では、チベット全域を示す総称のひとつとして用いられ続けていた。
2.ここでいう「康」は、チベット語でチベットの東部地方をさす「カム」を音写したものであるが、「疆圉」の項目に「西蔵の東は、バタン(巴塘)の南墩、寧静山に至りて界となす」とある。寧静山(チベット名ブムラ)は、ディチュ河(金沙江)水系の西側の分水嶺であり、すなわち本書でいう「康」はカム地方の西半部分のみを指していることになる。
3.「ジョー」とは、元来はラサのトゥルナン寺の釈尊像(jo bo, チョボ、チョゥォ)がなまったもので、モンゴル語としては、チベットのラサ周辺一帯を指す地域名称となった。「召」はこの「ジョー」を漢字で音写したものである。
これは メッセージ 105 (ふるさと さん)への返信です.
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