主張出来ない中国人

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天安門事件の元死刑囚の「その後」

投稿者: ari_babajapan 投稿日時: 2009/05/17 10:22 投稿番号: [36 / 37]
  ◆元死刑囚の過去

  天安門広場を戒厳部隊が制圧した6月4日夜、北京の一角で、打ち捨てられていた無人の軍トラックを、群衆が取り囲んでいた。

  「タイヤに火を付けろ」。やじ馬の誰かが叫ぶと、その男は小さな布切れに火を付け、タイヤの下に置いた。布が燃えただけで、トラック本体には燃え広がらなかったという。男は20分ほどで現場を離れた。トラックは後に、誰かが燃やしたらしい。

  私服姿の当局関係者が至る所に配置されていたから、撮影されていたのだろう。約1週間後に拘束され、「戒厳部隊がおまえを名指ししている。ありのままに答えないなら部隊に移送する。そうなればすぐに銃殺だ」と脅された。

  暴行を受けて気が動転していたこともあり、タイヤへの放火を認めた。「では、タンクには誰が火を付けたんだ」。そう繰り返された尋問で、「正直に答えないと、戒厳部隊に送るぞ」とたたみかけられ、「私がやった」と認めてしまう。戒厳部隊にだけは連行されたくないとの一心からだった。

  男には幼い息子がいた。「(死刑判決になる)覚悟をした方がいい」。弁護士からこう宣告され、8月に猶予付き判決を受けるまで死の恐怖におびえ続けた。男の両親は死刑執行の日のために新しい下着と服を差し入れたという。
  ◆いつかは事件の再評価が?

  男は6月3日夜、長安街で戒厳部隊が発砲する中を逃げ回っていた。翌早朝、広場を制圧した戦車隊が長安街を西にかなりの速度で走行した。戦車6両のうち1両が広場から撤退して逃走していた学生5人を下敷きにした瞬間を、男は目撃した。「必ず復讐(ふくしゅう)してやるからな」。他の学生たちは泣きながら友人の名前を呼んでいた。

  目の当たりにした陰惨な事件と住民への発砲に憤って火を付け、働き盛りの大半を刑務所で過ごすはめになった。服役中、妻に求められて離婚。職を探そうにも、公安当局発行の「無犯罪証明」が必要だから、雇うところはない。月額400元(1元約14円・日本円で5600円)の社会保障金のみで生活する毎日だ。

  男はしかし、「社会に申し訳ないとは思わない。後悔してはいない。親にはすまないとは思っているが…」と話しているという。

  中国政府は学生らの運動に「反革命動乱」の烙印(らくいん)を押し、それに対する過酷な鎮圧を正当化してきた。事件で失脚、軟禁生活を経て死去した趙紫陽元総書記の名誉回復など、事件再評価の動きは表面化していないが、いずれはあるだろう。

  今、中国各地では、労働者や住民と、当局との衝突が相次いでいる。腐敗も当時よりずっと深刻化しているし、世界同時不況で大学生の就職も厳しさを増している。米国留学した学生が中国在留の米国人家庭のベビーシッターをしている例も少なくない。当局は学生たちに神経を配り、就職問題に個々に対応しようと努めている。背景には、学生と知識人が中国政治の中心的役割を果たしてきた歴史があり、その不満吸収は安定維持のために不可欠だからだ。当局は今後、学生の全体数も抑えていくことになるだろう。

  中国社会に、中国共産党体制そのものに変化が生じるとき、形を変えた市民運動や学生運動が起きる可能性を「絶対にない」とは言いきれない。

しかし、程々の貧困生活でさえ「昔より良い」と満足している人民にそのパワーは残っているのだろうか?
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