チベットとウィグルに自由を

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Re: チベットとウィグルに自由を

投稿者: schlechtes_chinesisch 投稿日時: 2012/01/23 15:26 投稿番号: [40 / 130]
チベット亡命政府は、中華人民共和国が建国(1949)から文革(1979)の終結までにチベットの全土で中国によるチベット人大虐殺が行われたとしている。虐殺された人数の総計について、120万人をあげた時期もあったが、現在は、地方や時期別に、以下のように述べている。

カンロの虐殺   1952年-1958年における「カンロ地区」(中国の区分で甘粛省甘南州)において10,000人(カンロの虐殺)

ゴロクの虐殺   アムド地方ゴロク地区(中国の区分で青海省果洛州)で1956年に130,000人あった人口が1963年に「およそ60,000人にまで減った」と指摘。

ラサの虐殺    1959年3月10日に勃発したラサ蜂起では三日間で10,000人-15,000人のラサ市民が死亡

中央チベットの大虐殺    1959年3月から1960年10月までの間に中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺害された(中央チベットの大虐殺)。

これに対し、中華人民共和国では「虐殺の規模が120万人である」ことは否定されているが、地方ごとの個別事例として、兵士や一般民衆に対して相当規模の殺害を認めている。

カムの大虐殺    1954年頃から、中国に対する東チベットのカム地方を中心とするカム反乱がはじまる。チベット動乱のきっかけとなった

第一次虐殺    1956年末、中国の区分で四川省に所属する涼山、美姑、西昌、康定、西蔵所属で当時チャムド解放委員会管轄下のギャンダ・ゾン(江達)、芒康らによる第1次蜂起が起きる。

中国軍は1957末に「平定」に成功。さらに反乱勢力10万人に人民解放軍6万を動員して「鎮圧」する。中国共産党発表によれば、20,000人を殲滅し、20,000人を逮捕した。

第二次虐殺   1957年から58年にかけて、バタン(巴塘)、維西、徳欽、中甸らによる第2次蜂起に対して中国軍は1958末に「平定」に成功。5,500人を「殲滅」した。

青海省における虐殺    1958年3月から8月にかけて、甘粛から青海にかけての42万平方キロにかけてチベット人130,000人が「反乱」を行った。中国軍は、うち110,000人を殲滅して平定した。

また、「青海省」におけるチベット人・モンゴル人の遊牧民50,000人を逮捕した。この数字は青海省チベット・モンゴル人遊牧民総人口の10%にあたる。逮捕者の84%にあたる45,000人が誤認逮捕であった。拘留中に23,260人が死亡、誤って殺害されたものが173人。宗教・民族分子259人、民族幹部480人が死亡した。

中央チベットの虐殺    1959年3月から62年3月までに中共軍は中央チベットにおいて、死亡・負傷・捕虜を含めて93,000人を殲滅、武器35,500丁、砲70問を鹵獲した
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