中国の残虐行為
投稿者: deuyiottex 投稿日時: 2011/11/20 07:36 投稿番号: [16 / 130]
チベットは過去に中国領であったことは一度もない。1911年に中華民国の建国が成立した時にも,独立していたし,日本と中国との戦争の際にも中立を守った。戦後の1947年にインドのニューデリーで第1回アジア諸国会議でも一国家として参加した。
毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣言した。
「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」
これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。
「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」
その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れていた8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしていた英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形となってしまった。
1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これによりチベットの外交権は奪われ,中国軍に占領されてしまったのである。
又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初めての食料危機に見舞われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。
その後も,中共は「民主改革」という名の新たな大虐殺を開始した。以下長くなるが,その残虐非道さを分かってもらうためにあえて述べる。
チベットの民衆を幾つかの階層に分け,「富裕階級」は撲滅すべき階級で,「下層階級」でも処刑に反対すれば同罪とした。そして,「密告制度」と「人民裁判」が導入され,人の罪を密告しなければ自分が密告されるという相互不信の状態を作り出し,家族に於いては子供は両親の,両親は子供の罪を糾弾せねばならなくなり,民衆の新しいリーダーとされた乞食達は,「富裕階級」を次々と摘発した。
そうして連行された人々は特別人民集会に呼び出され,前もって中国側が作成した「罪状」に基づき,「犯罪者」として告発された。
集会に参加した人々は,その告発通りに非難し,殴り,唾を吐きかけ,髪を引っ張り,数々の辱めを行なわなければならない。
その模様を中国人担当者が詳細にメモし,最も激しく非難した者は「進歩分子」と評価され,非難が甘い者は批判される。同情を寄せたり,弁護した者は「犯罪者」と同じ運命を辿った。
その「犯罪者」達は公開処刑,或いは飢餓状態に置かれ,苦役の末に死亡,又は自殺に追い込まれた。「犯罪者」とされた人々の多くは,チベット仏教を放棄しなかったという理由が「罪状」だった。
鞭打たれ,はりつけにされ生きながら焼かれ,生きたまま解剖され,生き埋めにされ,腸を取り除かれ,首を切られたりして殺害された。この様な殺人行為は,いずれも公衆の面前でなされた。犠牲者の友人,隣人,
同じ村の人々は,それを見物する様に強制され,犠牲者は自分の家族や知人が見ているその目の前で殺された
のである。
ある者は目に釘を打ち込まれて殺された。ある者は後頭部を打ち抜かれ,脳味噌が飛び散り,飛び散った血と肉塊を見た中国人達は「花が咲いた様だ。」と言った。
ある者は首を残して生き埋めにされ,泥の圧力で顔から眼球が飛び出し,中国人はその眼球を切り取って眺
めた。
多くのチベット人が投獄され,この様な残酷な扱いに耐えかね,自殺者は9000人に上り,生き残った投
獄者も強制労働収容所に入れられ,「反乱反対」の学習を強制された。
徹底的な弾圧により,4500あった寺院の99%が破壊され,現在残っているものは中国の発表でも45しかなく,15万人いた僧侶も,中国の発表でも1400人程度となっている。
中共はその後も万単位の大虐殺を繰り返し,文化大革命の時には,北京から紅衛兵が送り込まれ,「四旧打破」のスローガンの下,チベットの宗教・文化・伝統・習慣を破壊したのである。
現在でもチベットの監獄・収容所では凄まじい処刑,拷問が行なわれ,独房監禁,ゴム管を使っての囚人のロヘの放尿,血液・体液の強制抽出,雪の中への裸での放置,中国人看守たちによる強姦等が行なわれている。
中国人により,もたらされた虐殺・餓死などによるチベット人の死者は,約128万人と言われ,「民族浄化」は着実にその成果を上げている。
毛沢東も最初はチベット独立を認める発言をしていたが,1949年,国民党を大陸から追い払い,中共による中華人民共和国が成立するや中共は北京放送を通じ,次の様に宣言した。
「チベットは中華人民共和国の一部に他ならず,人民解放軍はチベット人民を外国の帝国主義の手から解放する為に,チベットに進駐する。」
これに対し,チベット政府は強く抗議し,次の声明を発表した。
「チベットが,かつて中国の一部だった事は一度も無い。我が国を支配する外国勢力などは存在せず,従って解放される必要は全く無い。」
その抗議は無視され侵略は始まった。平和を愛好し,軍隊や武器の近代化が遅れていた8000人のチベット軍は壊滅。チベットを独立国として幾つもの条約を交わしていた英国やインド,そして国際連合もこの軍事侵攻に対応出来ず,結局は黙認する形となってしまった。
1951年,中共はチベット政府に対し,「17箇条協定」を押し付け,これによりチベットの外交権は奪われ,中国軍に占領されてしまったのである。
又,大量の「解放軍」の占領で「餓死」という言葉すらなかったチベットは歴史上初めての食料危機に見舞われ,道路建設に強制連行された数千人のチベット人が死亡,更に中共は「宗教は毒」と宣言し,宗教国チベットから宗教を消し去ろうと様々な圧政を加えていた。
その後も,中共は「民主改革」という名の新たな大虐殺を開始した。以下長くなるが,その残虐非道さを分かってもらうためにあえて述べる。
チベットの民衆を幾つかの階層に分け,「富裕階級」は撲滅すべき階級で,「下層階級」でも処刑に反対すれば同罪とした。そして,「密告制度」と「人民裁判」が導入され,人の罪を密告しなければ自分が密告されるという相互不信の状態を作り出し,家族に於いては子供は両親の,両親は子供の罪を糾弾せねばならなくなり,民衆の新しいリーダーとされた乞食達は,「富裕階級」を次々と摘発した。
そうして連行された人々は特別人民集会に呼び出され,前もって中国側が作成した「罪状」に基づき,「犯罪者」として告発された。
集会に参加した人々は,その告発通りに非難し,殴り,唾を吐きかけ,髪を引っ張り,数々の辱めを行なわなければならない。
その模様を中国人担当者が詳細にメモし,最も激しく非難した者は「進歩分子」と評価され,非難が甘い者は批判される。同情を寄せたり,弁護した者は「犯罪者」と同じ運命を辿った。
その「犯罪者」達は公開処刑,或いは飢餓状態に置かれ,苦役の末に死亡,又は自殺に追い込まれた。「犯罪者」とされた人々の多くは,チベット仏教を放棄しなかったという理由が「罪状」だった。
鞭打たれ,はりつけにされ生きながら焼かれ,生きたまま解剖され,生き埋めにされ,腸を取り除かれ,首を切られたりして殺害された。この様な殺人行為は,いずれも公衆の面前でなされた。犠牲者の友人,隣人,
同じ村の人々は,それを見物する様に強制され,犠牲者は自分の家族や知人が見ているその目の前で殺された
のである。
ある者は目に釘を打ち込まれて殺された。ある者は後頭部を打ち抜かれ,脳味噌が飛び散り,飛び散った血と肉塊を見た中国人達は「花が咲いた様だ。」と言った。
ある者は首を残して生き埋めにされ,泥の圧力で顔から眼球が飛び出し,中国人はその眼球を切り取って眺
めた。
多くのチベット人が投獄され,この様な残酷な扱いに耐えかね,自殺者は9000人に上り,生き残った投
獄者も強制労働収容所に入れられ,「反乱反対」の学習を強制された。
徹底的な弾圧により,4500あった寺院の99%が破壊され,現在残っているものは中国の発表でも45しかなく,15万人いた僧侶も,中国の発表でも1400人程度となっている。
中共はその後も万単位の大虐殺を繰り返し,文化大革命の時には,北京から紅衛兵が送り込まれ,「四旧打破」のスローガンの下,チベットの宗教・文化・伝統・習慣を破壊したのである。
現在でもチベットの監獄・収容所では凄まじい処刑,拷問が行なわれ,独房監禁,ゴム管を使っての囚人のロヘの放尿,血液・体液の強制抽出,雪の中への裸での放置,中国人看守たちによる強姦等が行なわれている。
中国人により,もたらされた虐殺・餓死などによるチベット人の死者は,約128万人と言われ,「民族浄化」は着実にその成果を上げている。
これは メッセージ 1 (kusomiso_sina_4 さん)への返信です.
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