Re: 日本「マンセー」思想 Re: たいへん申
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/03/19 00:15 投稿番号: [97671 / 99628]
>これって悪いことだろうか
というのは、私が引用した朴裕河の、
「個人主義」を超えて「公共性」を考える国民にしようとする教育にある。そしてまさしくそのために「伝統」と「文化」、そして「誇り」が強調される。戦争が肯定されるのは、そのような脈絡のうえでのことである
という一節を肯定されたわけですが、うーむ、その辺の判断がチロノカイヌシさん(変換が面倒なのでカタカナ表記にします)の「思想」的帰結だと思います。
しかし、朴裕河がここでいう“「公共性」を考える”国民教育とは、前に私が説明したH・アーレント的な間共同体に渡る本来の「公共性」を培うという意味ではなく、それは国家と個人の間で、且つ個人が国家に服従する没個性的な均質化された、国家が国民より上位に君臨しての単一なイデオロギーに染め上げる、平易にいえば、国家(権力)にとって都合の良い「国民」を生産させる教育、ぐらいの理解が正しいはずです。(戦前天皇国家日本、ナチスドイツ、北朝鮮の金王朝、共産党独裁の中国、麻原という天皇を主とするオウム真理教、これらと大同小異です)
もしそれでも「良い」とおっしゃるなら、それは全体主義的国家の肯定であり、チロノカイヌシさんが否定するはずの、少数民族を弾圧する中国現体制の擁護となります。共産党独裁体制のもと、国民の均質化を常に指向する体制は、必然的に少数民族のアイデンティティを許容しないのです。
つまり、
>「人を殺してはいけない」「盗んではいけない」と同じように人としての普遍的に守るべきことだと思うが
これは誤読です。
>私は「必要な戦争」「止むを得ない戦争」というのはあると思うし
参考までに過去例を挙げて下さい。
>そのための心構えを国民に説かねばならないというのは哀しいけれど現実ではないかと思う
イラク戦争でもブッシュは嘘(大量破壊兵器などなかった)を口実に、正しい戦争だと「国民に説」いたわけです。ベトナム侵略戦争では“ドミノ理論”を、日本の侵略戦争は“大東亜共栄圏”を、という具合に、国家が始める戦争とは、常に正義を装い、国民にその正当性を説きます。
なにより現代市民社会において、主権者たる国民が国家に説かれる関係性は倒錯しています。
>「剣道を修める意義は。見事に死ぬためである」
個人の美学ならそれは勝手です。国家(権力)による諸個人への強制こそが問題なのです。
これは メッセージ 97642 (chironokainushi さん)への返信です.
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