「南京」の後に「陛下」とは呼べない④
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2007/07/07 14:33 投稿番号: [97192 / 99628]
ドイツと日本は違う、ドイツの議論を持ち出しても有効じゃない、といわれるかもしれません。しかし、諸君の大先生が実践する「史観」は、80年代ドイツ歴史家論争のきっかけを作ったエルンスト・ノルテら歴史修正主義者の戦略に驚くほど似ており、であれば、そこを参考にするのは、おのずと我々の問題を描出するのです。(藤岡先生たちはノルテらの議論をお手本にしたと確信しています)
『一種の損害補償・ドイツにおける現代史記述の弁護論的傾向』と題したユルゲン・ハーバーマスの次の一節がそれを端的に表現しています。
誰も悪意があって発言しているとは思いたくない。思想の方向がそれによってわけられる単純な基準があるだけである。つまり一方は、距離をおいて理解するという作業は、反省的な想起の力を解放し、そのことによって、両義的な意味をもつ伝統と自律的に関わる余地を拡大する、という前提から出発する。それに対して、他方は、伝統的なアイデンティティを国民の歴史を軸にして修復するという目的に、修正主義的な歴史記述を奉仕させようとするのである。 『過ぎ去ろうとしない過去』ハーバーマス他著者多数
日本版歴史修正主義が、「伝統的なアイデンティティを国民の歴史を軸にして修復するという目的に、修正主義的な歴史記述を奉仕させようとする」のに、疑いの余地はありません。自虐史観者がそれを枯渇させたと怨むかれらは、祖先の健闘を称える日本史に繋いで、その逆の加害性は意図的に捨象して、日本人の国民的誇り(=アイデンティティ)の回復を目論むわけです。
しかし、
そういう自己意識は、歴史的なさまざまな理由からして、しばしばいっそう粗野ないし素朴なものであり、政治的にはたいてい害の多い歴史的自己意識なので 〜(中略)〜 このような愛国的な歴史をもとめる種々の倒錯した振る舞い 『過ぎ去ろうとしない過去』マルティン・ブロシャート
なのです。ハーバーマスは、自己正当化の歴史と癒着したドイツの伝統へと狭量に回帰しない、憲法愛国主義という西欧全体へ開かれたポスト伝統的な市民意識の形成を示唆しますが、我々の社会もまた、21世紀という多民族共生、否応なしに巻き込まれるグローバルな空間に接して、多種多様な人々の間共同体を生きており、そういった今という時代に、ナチスに加担しながら戦後それを反省しなかったハイデガーの弟子でもあるノルテに学んだ自己愛史観の哲学は、やはり反動的だといわねばなりません。我々に必要なのは、
自らのルーツとの素朴な一体感が、歴史とのむしろ仮説的な付きあいかたに道を譲ったとするなら、もし断絶性がより強く感得され、何が何でも連続性を賛美しようとすることがなくなるなら、、もし国民的自負や集団的自尊心が、普遍主義的な価値指向のフィルターを通して濾過されるのなら、これらのことが現実に当てはまる程度に応じて、ポスト伝統的なアイデンティティが形成される兆しが増大する 『過ぎ去ろうとしない過去』ハーバーマス
といった、「普遍主義的」な方向性です。
『一種の損害補償・ドイツにおける現代史記述の弁護論的傾向』と題したユルゲン・ハーバーマスの次の一節がそれを端的に表現しています。
誰も悪意があって発言しているとは思いたくない。思想の方向がそれによってわけられる単純な基準があるだけである。つまり一方は、距離をおいて理解するという作業は、反省的な想起の力を解放し、そのことによって、両義的な意味をもつ伝統と自律的に関わる余地を拡大する、という前提から出発する。それに対して、他方は、伝統的なアイデンティティを国民の歴史を軸にして修復するという目的に、修正主義的な歴史記述を奉仕させようとするのである。 『過ぎ去ろうとしない過去』ハーバーマス他著者多数
日本版歴史修正主義が、「伝統的なアイデンティティを国民の歴史を軸にして修復するという目的に、修正主義的な歴史記述を奉仕させようとする」のに、疑いの余地はありません。自虐史観者がそれを枯渇させたと怨むかれらは、祖先の健闘を称える日本史に繋いで、その逆の加害性は意図的に捨象して、日本人の国民的誇り(=アイデンティティ)の回復を目論むわけです。
しかし、
そういう自己意識は、歴史的なさまざまな理由からして、しばしばいっそう粗野ないし素朴なものであり、政治的にはたいてい害の多い歴史的自己意識なので 〜(中略)〜 このような愛国的な歴史をもとめる種々の倒錯した振る舞い 『過ぎ去ろうとしない過去』マルティン・ブロシャート
なのです。ハーバーマスは、自己正当化の歴史と癒着したドイツの伝統へと狭量に回帰しない、憲法愛国主義という西欧全体へ開かれたポスト伝統的な市民意識の形成を示唆しますが、我々の社会もまた、21世紀という多民族共生、否応なしに巻き込まれるグローバルな空間に接して、多種多様な人々の間共同体を生きており、そういった今という時代に、ナチスに加担しながら戦後それを反省しなかったハイデガーの弟子でもあるノルテに学んだ自己愛史観の哲学は、やはり反動的だといわねばなりません。我々に必要なのは、
自らのルーツとの素朴な一体感が、歴史とのむしろ仮説的な付きあいかたに道を譲ったとするなら、もし断絶性がより強く感得され、何が何でも連続性を賛美しようとすることがなくなるなら、、もし国民的自負や集団的自尊心が、普遍主義的な価値指向のフィルターを通して濾過されるのなら、これらのことが現実に当てはまる程度に応じて、ポスト伝統的なアイデンティティが形成される兆しが増大する 『過ぎ去ろうとしない過去』ハーバーマス
といった、「普遍主義的」な方向性です。
これは メッセージ 97172 (hidarino5 さん)への返信です.
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