「南京」の後に「陛下」とは呼べない①
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2007/07/07 13:23 投稿番号: [97189 / 99628]
タイトルは「南京」でなくても、それは「侵略」「植民地支配」「差別」「略奪」「放火」「強姦」「毒ガス戦」「細菌戦」「生体実験」「従軍慰安婦」「強制連行」でも、或いは、「ヒロシマ」「ナガサキ」「沖縄集団自決強要」でも、妥当性を欠くとはいえないだろう。その意味するところは、いずれ明らかとなるはずです。
>「日本が憎い」の一心で駄々をこねてるだけにしか見えないんだ。「じゃあどうしたら?」という問いに答えてくれ
私は「日本が憎い」のではありません。現代の日本を憎む理由など私にはありません。私が憎い、ではなく、私が批判的なのは、反韓国で集った諸君の、しかしその内実は、「弱者のルサンチマン(ニーチェ)」から自己愛史観に準拠して、その本質が必然的にもたらす他者への攻撃性により、ポストモダン社会の中で喪失した、(または喪失したと感じている)自己同一性を代償しようとする、歴史の反省を踏まえない盲目的な主情主義なのです。
諸君の言論は「日本」ではありません。湾岸戦争後あたりから右傾化を始めたこの国においてある程度の場所は占めますが、それでも、自己愛史観教科書の低い採択率、諸君のバイブルマンガが大手出版社から拒否された事実、阿倍首相が河野談話を継承している現実、歴代首相及び天皇の植民地支配や侵略戦争への謝罪、などを振り返れば、諸君の言論が日本の平均値を代表してないことは明白です。
「じゃあどうしたら?」と問われましたが、私のような平凡な穀潰しに、そのような巨視的世界観の展望を迫るのは、あまりに不作法です。マルクス原理主義者の方はマルクスのテキストに沿った労働者の国家を提示して、hidarino5 さんは天皇の国家でしょうか? 知りませんが、何かあるのでしょう。
そういった国家観の明確で強固な保有は、その是非を別問題として、それはそれで結構ですが、曲がりなりにも民主主義が発展し、諸君が描く稚拙な暴論が、現実には匿名条件下でしか吐露されない状況、つまりそういった自己愛的反国際的言論が「間共同体(宮台真司)」的市民社会の中においては生存できないほどには民度が高いこの「美しい国」を、部分的なそれは除き、部分的な欠陥が土台への改変を必要とする場合や、文化の問題もひとまず保留していえば、共産主義者が望むようには、その統治形態を革命したり解体する理由などあるはずもないのです。
ですから、私の批判は、あるべき理想の姿から逸脱した言論や制度に向かって、たえずその修正を迫り、根本的な欠陥を指摘する作法以上の意味はもたず、そのひとつに、たとえば、歴史認識をめぐる問題などが脈々と横たわり、自己愛史観者に支配的な歴史記述の根源的学問的な誤り、また(これが大事なことですが)、「歴史に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名なヴァイツゼッカー演説の精神を拒否する、未来へと有意義に繋がれない、「誇りの回復(藤岡信勝)」に糊塗された国家的イデオロギーの形成を目的とする、本来の学問としての歴史学には反する主情主義的態度の怪しさを、常々指摘することで、諸君が「更正」する契機を与えたい、ぐらいには思っています。
>「日本が憎い」の一心で駄々をこねてるだけにしか見えないんだ。「じゃあどうしたら?」という問いに答えてくれ
私は「日本が憎い」のではありません。現代の日本を憎む理由など私にはありません。私が憎い、ではなく、私が批判的なのは、反韓国で集った諸君の、しかしその内実は、「弱者のルサンチマン(ニーチェ)」から自己愛史観に準拠して、その本質が必然的にもたらす他者への攻撃性により、ポストモダン社会の中で喪失した、(または喪失したと感じている)自己同一性を代償しようとする、歴史の反省を踏まえない盲目的な主情主義なのです。
諸君の言論は「日本」ではありません。湾岸戦争後あたりから右傾化を始めたこの国においてある程度の場所は占めますが、それでも、自己愛史観教科書の低い採択率、諸君のバイブルマンガが大手出版社から拒否された事実、阿倍首相が河野談話を継承している現実、歴代首相及び天皇の植民地支配や侵略戦争への謝罪、などを振り返れば、諸君の言論が日本の平均値を代表してないことは明白です。
「じゃあどうしたら?」と問われましたが、私のような平凡な穀潰しに、そのような巨視的世界観の展望を迫るのは、あまりに不作法です。マルクス原理主義者の方はマルクスのテキストに沿った労働者の国家を提示して、hidarino5 さんは天皇の国家でしょうか? 知りませんが、何かあるのでしょう。
そういった国家観の明確で強固な保有は、その是非を別問題として、それはそれで結構ですが、曲がりなりにも民主主義が発展し、諸君が描く稚拙な暴論が、現実には匿名条件下でしか吐露されない状況、つまりそういった自己愛的反国際的言論が「間共同体(宮台真司)」的市民社会の中においては生存できないほどには民度が高いこの「美しい国」を、部分的なそれは除き、部分的な欠陥が土台への改変を必要とする場合や、文化の問題もひとまず保留していえば、共産主義者が望むようには、その統治形態を革命したり解体する理由などあるはずもないのです。
ですから、私の批判は、あるべき理想の姿から逸脱した言論や制度に向かって、たえずその修正を迫り、根本的な欠陥を指摘する作法以上の意味はもたず、そのひとつに、たとえば、歴史認識をめぐる問題などが脈々と横たわり、自己愛史観者に支配的な歴史記述の根源的学問的な誤り、また(これが大事なことですが)、「歴史に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という有名なヴァイツゼッカー演説の精神を拒否する、未来へと有意義に繋がれない、「誇りの回復(藤岡信勝)」に糊塗された国家的イデオロギーの形成を目的とする、本来の学問としての歴史学には反する主情主義的態度の怪しさを、常々指摘することで、諸君が「更正」する契機を与えたい、ぐらいには思っています。
これは メッセージ 97172 (hidarino5 さん)への返信です.
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