Re: 南京関係① Re: パークちゃんに
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2007/06/25 07:21 投稿番号: [97099 / 99628]
>「勝者の歴史書」が書かれている
>反日日本人にかかると 〜 原爆投下をも黙ってしまう
>反日日本人は一方のみしか断罪しないんだな
大江健三郎は『ヒロシマノート』や『オキナワノート』をルポルタージュし、早乙女勝元は「東京大空襲」被害をライフワークとして訴え、野坂昭如は『火垂るの墓』を、大岡昇平は『俘虜記』を、中沢啓治は『はだしのゲン』を、水木しげるは悲惨な「玉砕」や「特攻」を、本多勝一は日本に征服された「アイヌ民族」の歴史に共感を示し、小田実は「大阪大空襲」の体験に言及し、井伏鱒二は『黒い雨』を書き、今村昌平はこれを映画化して高く評価され、黒澤明は『八月のラプソディ』でリチャード・ギア演じるアメリカ人代表に「謝罪」させています。ジョン・ダワーはその著書『人種偏見』で、米軍による(日本人への)戦争犯罪を告発してもいます。大江健三郎はじめ著名な「反日」日本人知識人は、ヒロシマ・ナガサキの経験に照らして「文学者の反核声明」を出し、それに噛み付いたのが、反日ウヨク出版社の「文芸春秋」であり「新潮」なのです。
「反日日本人は一方のみしか断罪しない」、「勝者の歴史書」ばかりだというのは、じつは「歴史書」など読んだこともなく、さらには「歴史書」と政治イデオロギー的“パラダイム”を混同した、戦後史も踏まえない、愛国思想に汚染された無知な坊やの素朴な妄言です。むしろ、反日ウヨク日本人こそ、ヒロシマやナガサキを言わないのではないですか? 「愛日」を自称する自己愛史観の教科書には、その言及が怖ろしく希薄だといいますが、どうなんでしょうね? 反日ウヨクの場合、戦争加害面をいわないから、戦争被害面もまたいえない、とこういうことかもしれません。
ドイツでは、アデナウアー政権下の「復古」主義から脱して、アドルノなど亡命知識人の影響もあり、68年に学生の反乱が起こります。各家庭で、子供が親にナチス時代の行為を問い詰めたわけですが、これと似た現象が日本にも発生します。
日本でも、戦後しばらくは被害者面が強調され、加害面が盛んに言われ出したのは、本多勝一が南京大虐殺の被害者証言を集めた『中国の旅』を朝日新聞紙上に連載して以後、または小田実がベトナム反戦運動の中で、「自分たちは被害者だったが、これからは加害者だ」と宣言して以来です。それでも、小田は被害者面を闇に葬ったのではありません。これは小熊英二が書いてたことですが、ヒロシマを訴える集会などで、生意気な学生が、「ヒロシマの被害というが、あんたたちは戦争中何をしたんだ? アジアで何をしたんだ?」と親の世代の加害責任を問い詰めたわけです。それに接した小田は、「見るに耐えなかった」というように述べてるそうです。つまり、反日日本人はたしかにアジアへの加害を糾弾し始めたが、それは被害面を忘れ、そこを免罪するものではないのです。
こういった問題は現在でも解消されておらず、たとえば、加藤典洋が、90年代に論壇を賑わした『敗戦後論』の骨子としたのも、この加害面と被害面の“ねじれ”であり、それに反論した高橋哲哉もその“ねじれ”という現状を認めた上、解決をめぐって対立し、「歴史主体論争」へと発展します。反日日本人が被害面に触れないという「誤解」は、或いは、この論争に見られるような、高橋の徹底した加害者意識とその自覚に接して感じる感情的反発的なイメージにすぎない、と私は思います。
>反日日本人にかかると 〜 原爆投下をも黙ってしまう
>反日日本人は一方のみしか断罪しないんだな
大江健三郎は『ヒロシマノート』や『オキナワノート』をルポルタージュし、早乙女勝元は「東京大空襲」被害をライフワークとして訴え、野坂昭如は『火垂るの墓』を、大岡昇平は『俘虜記』を、中沢啓治は『はだしのゲン』を、水木しげるは悲惨な「玉砕」や「特攻」を、本多勝一は日本に征服された「アイヌ民族」の歴史に共感を示し、小田実は「大阪大空襲」の体験に言及し、井伏鱒二は『黒い雨』を書き、今村昌平はこれを映画化して高く評価され、黒澤明は『八月のラプソディ』でリチャード・ギア演じるアメリカ人代表に「謝罪」させています。ジョン・ダワーはその著書『人種偏見』で、米軍による(日本人への)戦争犯罪を告発してもいます。大江健三郎はじめ著名な「反日」日本人知識人は、ヒロシマ・ナガサキの経験に照らして「文学者の反核声明」を出し、それに噛み付いたのが、反日ウヨク出版社の「文芸春秋」であり「新潮」なのです。
「反日日本人は一方のみしか断罪しない」、「勝者の歴史書」ばかりだというのは、じつは「歴史書」など読んだこともなく、さらには「歴史書」と政治イデオロギー的“パラダイム”を混同した、戦後史も踏まえない、愛国思想に汚染された無知な坊やの素朴な妄言です。むしろ、反日ウヨク日本人こそ、ヒロシマやナガサキを言わないのではないですか? 「愛日」を自称する自己愛史観の教科書には、その言及が怖ろしく希薄だといいますが、どうなんでしょうね? 反日ウヨクの場合、戦争加害面をいわないから、戦争被害面もまたいえない、とこういうことかもしれません。
ドイツでは、アデナウアー政権下の「復古」主義から脱して、アドルノなど亡命知識人の影響もあり、68年に学生の反乱が起こります。各家庭で、子供が親にナチス時代の行為を問い詰めたわけですが、これと似た現象が日本にも発生します。
日本でも、戦後しばらくは被害者面が強調され、加害面が盛んに言われ出したのは、本多勝一が南京大虐殺の被害者証言を集めた『中国の旅』を朝日新聞紙上に連載して以後、または小田実がベトナム反戦運動の中で、「自分たちは被害者だったが、これからは加害者だ」と宣言して以来です。それでも、小田は被害者面を闇に葬ったのではありません。これは小熊英二が書いてたことですが、ヒロシマを訴える集会などで、生意気な学生が、「ヒロシマの被害というが、あんたたちは戦争中何をしたんだ? アジアで何をしたんだ?」と親の世代の加害責任を問い詰めたわけです。それに接した小田は、「見るに耐えなかった」というように述べてるそうです。つまり、反日日本人はたしかにアジアへの加害を糾弾し始めたが、それは被害面を忘れ、そこを免罪するものではないのです。
こういった問題は現在でも解消されておらず、たとえば、加藤典洋が、90年代に論壇を賑わした『敗戦後論』の骨子としたのも、この加害面と被害面の“ねじれ”であり、それに反論した高橋哲哉もその“ねじれ”という現状を認めた上、解決をめぐって対立し、「歴史主体論争」へと発展します。反日日本人が被害面に触れないという「誤解」は、或いは、この論争に見られるような、高橋の徹底した加害者意識とその自覚に接して感じる感情的反発的なイメージにすぎない、と私は思います。
これは メッセージ 97076 (hidarino5 さん)への返信です.
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