週刊ヒュンダイ(現代) 2 嘲笑
投稿者: tanqueray6253 投稿日時: 2007/01/04 23:41 投稿番号: [95819 / 99628]
いうまでもないことですが、私は3月いっぱいで小学校を退職し、社労党(社会主義労働者党)から参議院愛知地方区に立候補することが正式に決まっており、それはもう記者会見を開いてマスコミにも伝えていたからです。
国政選挙の立候補予定者が突如としていなくなることの意味を考えなくてはならない、これは普通の人がいなくなるのとはまったく意味が違うのだと、しかも私は労働者階級の利益を守るために立候補するといっているのだから、私を拉致することは朝鮮労働党が日本の労働者階級にケンカを売るのと同じだと、朝鮮労働党が日本の労働者階級の敵となってなお生存を続けることは絶対的に不可能であるというようなことを言った記憶があります。
私と蓮池薫氏が話をしている間に、夕方だったのではっきりとは見えませんでしたが、私たちのまわりには数名(二、三人)の不審な人物がいました。蓮池薫氏は私の話を聞いて、その中の指揮者とおぼしき人物のところに相談に行って、数分の間、話をした後で私のところへ戻ってきて、今回はあきらめるといって去っていきました。
(なお、「指揮官とおぼしき人物」は横田めぐみさんのダンナ称する人物とよく似ていたような気がしますが、蓮池薫氏のように数十㎝の至近距離で直接言葉をやりとりしたわけではないのではっきりと断言できません。)
この時、蓮池薫氏は私にくだらない脅し文句をいくつか言ったような気がしますが、それはすべて忘れてしまいました。
以上が私が知りえた出来事のすべてです。
それで拉致被害者が全部は死んではいないという根拠ですが、一つは、蓮池薫氏は拉致被害者の中でも多くのことを知りうる立場にあり、彼が私に言ったことの多くはそれなりに当たっていたということ。
二つ目は、蓮池薫氏のように北朝鮮で特別の任務を与えられて生きていた拉致被害者は彼だけではなく、その他にもいるのではないかということ。そして、そういう人々は殺されたり強制収容所に送られる理由はないので、彼らがいまだに生きている確率は高いということです。
なお、こういうことは被害者である私が語るよりも、加害者である蓮池薫氏が語るべきことがらなのではないですか。何しろ彼は当事者であり、すべてを語ると言っているのだから、私の拉致未遂事件を含めて、すべてを語る責務は私にではなく、彼の方にあると思います。
なお、蓮池薫氏が私のところに来た理由は、彼が私を赤軍関係者と誤解したためです。
この誤解についてですが、実は、浅間山荘事件で逮捕された連合赤軍のK氏はどういうわけか、浅間山荘で逮捕されたとき、私の名前と住所と電話番号を書いたメモを持っており、そのことで私の実家にはパトカーが2台も来た。
そこで私が不思議に思うのは、田宮たちが北朝鮮に渡ったのは1969年で、連合赤軍事件が起こったのは1972年であり、この事件の関係者たちはすべて長期投獄されている。
したがって、蓮池薫氏が私を赤軍関係者と誤解するというのは、理解しがたいものである。日本国内の赤軍関係者ならば、私と彼らがまったく異なる政治的な立場に立っていることぐらい私が説明しなくても彼ら自身が一番よく知っている事がらであるし、北朝鮮の赤軍派ならば私の存在自体を知らないはずである。
むしろこういう誤解は、私の実家に来たバカなパトカーの関係者のものであったろうし、私に対する拉致計画そのものが、客観的に見れば、社労党(社会主義労働者党)の選挙運動に対する悪質な選挙妨害以外の何ものでもなかったのだから、この計画の主たる発案者は、むしろ北朝鮮政府ではなく、日本国内にいるわれわれ社労党(社会主義労働者党)の参議院選挙への参加をこころよく思っていない勢力なのではないかと考えるのが妥当であろう。
そういう点ではこれは語られなければならない、闇に葬ってはならない政治的な事件だったと思います。
北朝鮮政府(金正日政権)が、日本の反動勢力とつるんで、日本の労働者階級の選挙闘争を圧殺しようとしたという事実は歴史の中にどうしても書き残さなければならない重大な出来事であると私は思うからあえて真実を語るのです。
http://blog.goo.ne.jp/sekiseima/e/e66b9f6c2bbf87a8c467b6c69bdbcb95
<丶`∀´>ニダも追い詰められている良い実例だ。
(コメント)バカな講談社が、すっかり引っかかったようです。
国政選挙の立候補予定者が突如としていなくなることの意味を考えなくてはならない、これは普通の人がいなくなるのとはまったく意味が違うのだと、しかも私は労働者階級の利益を守るために立候補するといっているのだから、私を拉致することは朝鮮労働党が日本の労働者階級にケンカを売るのと同じだと、朝鮮労働党が日本の労働者階級の敵となってなお生存を続けることは絶対的に不可能であるというようなことを言った記憶があります。
私と蓮池薫氏が話をしている間に、夕方だったのではっきりとは見えませんでしたが、私たちのまわりには数名(二、三人)の不審な人物がいました。蓮池薫氏は私の話を聞いて、その中の指揮者とおぼしき人物のところに相談に行って、数分の間、話をした後で私のところへ戻ってきて、今回はあきらめるといって去っていきました。
(なお、「指揮官とおぼしき人物」は横田めぐみさんのダンナ称する人物とよく似ていたような気がしますが、蓮池薫氏のように数十㎝の至近距離で直接言葉をやりとりしたわけではないのではっきりと断言できません。)
この時、蓮池薫氏は私にくだらない脅し文句をいくつか言ったような気がしますが、それはすべて忘れてしまいました。
以上が私が知りえた出来事のすべてです。
それで拉致被害者が全部は死んではいないという根拠ですが、一つは、蓮池薫氏は拉致被害者の中でも多くのことを知りうる立場にあり、彼が私に言ったことの多くはそれなりに当たっていたということ。
二つ目は、蓮池薫氏のように北朝鮮で特別の任務を与えられて生きていた拉致被害者は彼だけではなく、その他にもいるのではないかということ。そして、そういう人々は殺されたり強制収容所に送られる理由はないので、彼らがいまだに生きている確率は高いということです。
なお、こういうことは被害者である私が語るよりも、加害者である蓮池薫氏が語るべきことがらなのではないですか。何しろ彼は当事者であり、すべてを語ると言っているのだから、私の拉致未遂事件を含めて、すべてを語る責務は私にではなく、彼の方にあると思います。
なお、蓮池薫氏が私のところに来た理由は、彼が私を赤軍関係者と誤解したためです。
この誤解についてですが、実は、浅間山荘事件で逮捕された連合赤軍のK氏はどういうわけか、浅間山荘で逮捕されたとき、私の名前と住所と電話番号を書いたメモを持っており、そのことで私の実家にはパトカーが2台も来た。
そこで私が不思議に思うのは、田宮たちが北朝鮮に渡ったのは1969年で、連合赤軍事件が起こったのは1972年であり、この事件の関係者たちはすべて長期投獄されている。
したがって、蓮池薫氏が私を赤軍関係者と誤解するというのは、理解しがたいものである。日本国内の赤軍関係者ならば、私と彼らがまったく異なる政治的な立場に立っていることぐらい私が説明しなくても彼ら自身が一番よく知っている事がらであるし、北朝鮮の赤軍派ならば私の存在自体を知らないはずである。
むしろこういう誤解は、私の実家に来たバカなパトカーの関係者のものであったろうし、私に対する拉致計画そのものが、客観的に見れば、社労党(社会主義労働者党)の選挙運動に対する悪質な選挙妨害以外の何ものでもなかったのだから、この計画の主たる発案者は、むしろ北朝鮮政府ではなく、日本国内にいるわれわれ社労党(社会主義労働者党)の参議院選挙への参加をこころよく思っていない勢力なのではないかと考えるのが妥当であろう。
そういう点ではこれは語られなければならない、闇に葬ってはならない政治的な事件だったと思います。
北朝鮮政府(金正日政権)が、日本の反動勢力とつるんで、日本の労働者階級の選挙闘争を圧殺しようとしたという事実は歴史の中にどうしても書き残さなければならない重大な出来事であると私は思うからあえて真実を語るのです。
http://blog.goo.ne.jp/sekiseima/e/e66b9f6c2bbf87a8c467b6c69bdbcb95
<丶`∀´>ニダも追い詰められている良い実例だ。
(コメント)バカな講談社が、すっかり引っかかったようです。
これは メッセージ 95818 (tanqueray6253 さん)への返信です.
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