Re: 日本と韓国の歴史教育の違い
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2006/05/01 06:56 投稿番号: [94075 / 99628]
>「オマエの母ちゃん、デベソ!」 (中略)
と言っている子供が、本当に「○○君のお母さんはデベソだ」などと思っているわけがありません
いい例を挙げられましたね。じっさいこのような言い方などは典型的な「言われなき差別」なのですが、それはともかく、それは、思っているかもしれないし、思ってないかもしれない、そんなことは前後の経緯などから言われた側が推察するほかないわけです。それで、私はこの方をレイシストだと判断したまでですね。
ところで、この方の場合は「方法論的にあえて韓国朝鮮を厳しく論じているのだ」というような趣旨の発言を昨年末にしていましたから、ひょっとしたらそれは本当で、本人の感情の内ではレイシズムなど無縁なのかもしれません。そもそも、レイシズムを人種民族間の差別的優越感情ぐらいに定義すれば、究極的にはレイシストの認定など他人にはできなくなります。なぜなら、それは感情の問題であり、人の感情を完璧に明らかとするなんて不可能だからですね。他者に可能なのは、その人の外的行為からそれを判断する、それだけですが、ここでの外的行為とは、すなわち、書かれた言葉であり、そこから判断されることそれ自体は誰もが免れないのです。
いくらだって言い訳はできますよ。前にもどこかで書いた記憶がありますが、堂々差別を敢行できるのはKKK(今も存在するのか知りませんが)ぐらいじゃないですか? どんなにひどい差別したって、いやあれは「区別」だとか、そんな意図はなかったとか、みな弁解するでしょう。じっさい、本当に差別している認識などないのかもしれません。(差別について書かれた本などを読むと、差別した側の希薄な加害意識がよく指摘されてます)
>侮蔑表現を使う人間=レイシストとという捉え方をされることは理解できますが
筆者が侮蔑的文脈の中で侮蔑表現をすれば、それは「侮蔑」といって差し支えないのだから、レイシストの汚名を甘受するほかないですね。肝要なのは、例えば「チョン」という単語の使用そのものではなく、全体の文脈です。
次に、その「より重要」な点に関してですが、二つありますね。
>差別表現、陵辱表現、蔑視表現を慎め、という主張なのでしょうか。それとも差別、陵辱、蔑視を慎め、なのでしょうか?
これが質問1ですが、えっと両方ですね、というか、同じことではないかと思うのですが、その違いが何なのかちょっとわかりません。ここは掲示板にすぎず、「書かれた言葉」がすべてなわけです。その具現を私は見ることができないし、じっさいあるのかどうかを知る由もない。私に可能なのは、テキスト(=書かれた言葉)に対する評価なわけで、それ以上ではありえません。ですから、何を書こうとそれは「表現」の域を出ないし、となると、hakobune18 さんのおっしゃる前者と後者の区分けが明瞭ではなくなるのです。
いったいどういう違いを述べておられるのか、再度説明を頂けたら、或いは明快にお答えできるかもしれません。
>何が「いい加減な嘘」なのでしょうか?
これが質問2ですが、そうですね、hakobune18 さんが挙げられた三点もありますし、そんなもん(=いい加減な嘘)は枚挙にいとまがない、というのは言い過ぎか? ま、多々あるわけです。じっさい、私がここの人たちと「論争」を始めたのは、そういう種類の暴論を多く契機としています。明らかな事実の間違いもありましたし、「吉里吉里人」の著者もびっくりの空想物語にもお目にかかりました。
(私の過去の書き込みに具体例は見つけられますが、もし面倒であれば、次回にでも紹介します)
いい例を挙げられましたね。じっさいこのような言い方などは典型的な「言われなき差別」なのですが、それはともかく、それは、思っているかもしれないし、思ってないかもしれない、そんなことは前後の経緯などから言われた側が推察するほかないわけです。それで、私はこの方をレイシストだと判断したまでですね。
ところで、この方の場合は「方法論的にあえて韓国朝鮮を厳しく論じているのだ」というような趣旨の発言を昨年末にしていましたから、ひょっとしたらそれは本当で、本人の感情の内ではレイシズムなど無縁なのかもしれません。そもそも、レイシズムを人種民族間の差別的優越感情ぐらいに定義すれば、究極的にはレイシストの認定など他人にはできなくなります。なぜなら、それは感情の問題であり、人の感情を完璧に明らかとするなんて不可能だからですね。他者に可能なのは、その人の外的行為からそれを判断する、それだけですが、ここでの外的行為とは、すなわち、書かれた言葉であり、そこから判断されることそれ自体は誰もが免れないのです。
いくらだって言い訳はできますよ。前にもどこかで書いた記憶がありますが、堂々差別を敢行できるのはKKK(今も存在するのか知りませんが)ぐらいじゃないですか? どんなにひどい差別したって、いやあれは「区別」だとか、そんな意図はなかったとか、みな弁解するでしょう。じっさい、本当に差別している認識などないのかもしれません。(差別について書かれた本などを読むと、差別した側の希薄な加害意識がよく指摘されてます)
>侮蔑表現を使う人間=レイシストとという捉え方をされることは理解できますが
筆者が侮蔑的文脈の中で侮蔑表現をすれば、それは「侮蔑」といって差し支えないのだから、レイシストの汚名を甘受するほかないですね。肝要なのは、例えば「チョン」という単語の使用そのものではなく、全体の文脈です。
次に、その「より重要」な点に関してですが、二つありますね。
>差別表現、陵辱表現、蔑視表現を慎め、という主張なのでしょうか。それとも差別、陵辱、蔑視を慎め、なのでしょうか?
これが質問1ですが、えっと両方ですね、というか、同じことではないかと思うのですが、その違いが何なのかちょっとわかりません。ここは掲示板にすぎず、「書かれた言葉」がすべてなわけです。その具現を私は見ることができないし、じっさいあるのかどうかを知る由もない。私に可能なのは、テキスト(=書かれた言葉)に対する評価なわけで、それ以上ではありえません。ですから、何を書こうとそれは「表現」の域を出ないし、となると、hakobune18 さんのおっしゃる前者と後者の区分けが明瞭ではなくなるのです。
いったいどういう違いを述べておられるのか、再度説明を頂けたら、或いは明快にお答えできるかもしれません。
>何が「いい加減な嘘」なのでしょうか?
これが質問2ですが、そうですね、hakobune18 さんが挙げられた三点もありますし、そんなもん(=いい加減な嘘)は枚挙にいとまがない、というのは言い過ぎか? ま、多々あるわけです。じっさい、私がここの人たちと「論争」を始めたのは、そういう種類の暴論を多く契機としています。明らかな事実の間違いもありましたし、「吉里吉里人」の著者もびっくりの空想物語にもお目にかかりました。
(私の過去の書き込みに具体例は見つけられますが、もし面倒であれば、次回にでも紹介します)
これは メッセージ 94056 (hakobune18 さん)への返信です.
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