Re4: 2002年のW杯で韓国は不正をした
投稿者: kemex2201 投稿日時: 2005/12/16 00:13 投稿番号: [93038 / 99628]
あらま。あの試合を見てたんですか。見た上でこれまでのお話をされているなら何も申しますまい。いえ、申し上げることがないのです。どのような感想を持つかは確かに当人の自由。
他の方たちとのお話も読ませていただいた上で、あなたのその目に私の見ているものがどのように映っているのかも何となくわかりました。
実を言えばあなたの投稿の手法は私とよく似ていらっしゃる(笑)
立つ位置の違いはございますけれど。
あなたは偉いと思いますよ。「私達の」日本に対するいかなる愚弄や差別にも憤ることなく、相手方の暴言・暴挙はあくまでも個として捉えよと唱え、「私達の側」の対応については日本国とその国民として子々孫々まで総体として反省すべきだという。その姿勢、実に見事なまでに寛容です。人として生まれたからにはかくあるべし、という感じですね。
実際、日本人というのはそういうところがあるのです。それがまた日本人の美徳なんですけれどね。しかしながら私達が「個」として韓国人にどうこう言われるだけなら「金持ち喧嘩せず」と涼しい顔して知らん振りで良いのですが、私達の後にもまた続いていく日本国と日本人があるのです。
それゆえ、私達はそれぞれが個として日本への攻撃を無視するのではなく、あえてその信とする美徳に背いてでも、反論し、声をあげて誤った認識を正さなければならないのです。
あなたはそこをどうお考えになっておられるのか。
こと、朝鮮人については我々が恥と感ずるような大声をあげて相手を罵る、ということも必要であることをご存知ですか?相手は日本人ではありません。朝鮮人の発想や思考回路、習慣をわかった上でならば「やい、このチョンめ」という子供のような罵りですら、時には必要になるということを。
とはいえ私はそういうやり方はいたしませんが(笑)
「差別」なく相対する為には相手を知ることも大切です。そしてその相手に合った対応というのも、というよりは相手に合わせた対応というのも日本人の「誠意」といえるのではないですか?
朝鮮人を罵るのは相手に合わせた対応。子供に話し掛ける時、かがんで視線を合わせて話しかけるでしょう?そういうこと。私は日本人として、日本人の美徳に恥ずることなき対応をしますけれどね。個は個、総体は総体なんです。ここで語られるのは個人に対する悪口ではない。個と総体を並べて語ることはそれこそ差別、「私達に対する」逆差別ではありませんか?
平らかに見て、広やかに、より深く、あるいははるか高みから我も彼も見ることの大切さを「差別」を嫌うあなたにこそ、考えていただきたい。差別なき平等な社会とは、反論する自由を自らも持つことのできる、自らをも差別しない、そういうことではありませんか。
そういう発想からの「支那」です。「中華」という独善的な名を嫌うから、支那と呼ぶ。蔑称ではなく、別称ですね。東シナ海は蔑称でしょうか?チャイナは、チーノは、シノワは?違うでしょう。目くじら立てるようなことではないのですよ。
他の方たちとのお話も読ませていただいた上で、あなたのその目に私の見ているものがどのように映っているのかも何となくわかりました。
実を言えばあなたの投稿の手法は私とよく似ていらっしゃる(笑)
立つ位置の違いはございますけれど。
あなたは偉いと思いますよ。「私達の」日本に対するいかなる愚弄や差別にも憤ることなく、相手方の暴言・暴挙はあくまでも個として捉えよと唱え、「私達の側」の対応については日本国とその国民として子々孫々まで総体として反省すべきだという。その姿勢、実に見事なまでに寛容です。人として生まれたからにはかくあるべし、という感じですね。
実際、日本人というのはそういうところがあるのです。それがまた日本人の美徳なんですけれどね。しかしながら私達が「個」として韓国人にどうこう言われるだけなら「金持ち喧嘩せず」と涼しい顔して知らん振りで良いのですが、私達の後にもまた続いていく日本国と日本人があるのです。
それゆえ、私達はそれぞれが個として日本への攻撃を無視するのではなく、あえてその信とする美徳に背いてでも、反論し、声をあげて誤った認識を正さなければならないのです。
あなたはそこをどうお考えになっておられるのか。
こと、朝鮮人については我々が恥と感ずるような大声をあげて相手を罵る、ということも必要であることをご存知ですか?相手は日本人ではありません。朝鮮人の発想や思考回路、習慣をわかった上でならば「やい、このチョンめ」という子供のような罵りですら、時には必要になるということを。
とはいえ私はそういうやり方はいたしませんが(笑)
「差別」なく相対する為には相手を知ることも大切です。そしてその相手に合った対応というのも、というよりは相手に合わせた対応というのも日本人の「誠意」といえるのではないですか?
朝鮮人を罵るのは相手に合わせた対応。子供に話し掛ける時、かがんで視線を合わせて話しかけるでしょう?そういうこと。私は日本人として、日本人の美徳に恥ずることなき対応をしますけれどね。個は個、総体は総体なんです。ここで語られるのは個人に対する悪口ではない。個と総体を並べて語ることはそれこそ差別、「私達に対する」逆差別ではありませんか?
平らかに見て、広やかに、より深く、あるいははるか高みから我も彼も見ることの大切さを「差別」を嫌うあなたにこそ、考えていただきたい。差別なき平等な社会とは、反論する自由を自らも持つことのできる、自らをも差別しない、そういうことではありませんか。
そういう発想からの「支那」です。「中華」という独善的な名を嫌うから、支那と呼ぶ。蔑称ではなく、別称ですね。東シナ海は蔑称でしょうか?チャイナは、チーノは、シノワは?違うでしょう。目くじら立てるようなことではないのですよ。
これは メッセージ 93016 (parkavenuecanada さん)への返信です.
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