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りんくより

投稿者: yugeno16 投稿日時: 2003/05/19 23:14 投稿番号: [80033 / 99628]
【中国こぼれ話   第11回】
2002年4月10日号(第35号)
  三月中旬、河北省藁城市の梅花鎮を訪れた。梅花鎮といっても日本人は普通知らない。恥ずかしながら、実は私もそこに行くまでよく知らなかった。今回、河北省の省都石家荘へ資料調査に行った際、河北省社会科学院の案内で訪問する機会をえた。

  石家荘から東へのびる高速道路は、藁城市付近まではほぼ鉄道(石徳線)に平行に走っている。藁城市を過ぎしばらく行ってから右折し、鉄道を横切り田舎道を南下する。一面の平原である。藁城市の南端に梅花鎮はあった。もう少し行くと趙県である。

  一九三七年七月日中全面戦争が始まると、北京から南下した日本軍は、九月二十三日保定、二十八日定県、十月十日石家荘を占領した。九月下旬から十月上旬にかけて、石家荘付近では両軍の激しい戦闘が続いていた。中国側にあって平漢線(現在の北京・武漢間の鉄道)一帯を防衛していた第五三軍六九一連隊(呂正操連隊長)が、一時拠点としていたのが梅花鎮である。十一日夜、六九一連隊は撤退したのだが、日本軍は十二日朝この村を占領し、その後十五日に去るまで一般村民に対する暴行と虐殺が行われたという。

  一九四七年の調査によると、戦前二千五百人ほどのこの村で、一五四七人が殺害されたという。今はのどかな農村のたたずまいだが、この事件を忘れないために、村には新たに改築された梅花鎮惨案紀念館が設けられている。吉秋群館長ときれいな案内員の小姐が迎えてくれた。紀念館の敷地内には、日本軍が虐殺した村人を投げ込んだ井戸の跡(血井)などもあった。

  一九三七年十月といえば、上海で激戦がおこなわれていたころだ。南京陥落はこの年の十二月十三日である。日中戦争のきわめて初期の段階から、一般住民に対する虐殺があったことを梅花鎮は教えてくれる。この河北省の作戦に参加した第十六師団(中島今朝吾師団長)は、十一月から一転して南京攻略戦に参加、あの悪名高い南京大虐殺に手を染めるのである。(井上久士)



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     彡※※※※ミ

軍靴の音が聞こえますな・・・
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