アイデンティティと国籍、民族、その2
投稿者: yuriciperle 投稿日時: 2003/02/17 19:16 投稿番号: [75898 / 99628]
事実上、外国に帰化した人は法律的に日本国籍を失うので、「日本国民」ではなくなるのですが、「日本人」でなくなるわけではありません。
それなのに、法務省関係のお役人でさえ「外国に帰化した人はもう日本人ではありませんから、、、」などと言う人があります。
日本国籍がなくなったからといって、本人がアイデンティティ的に「外国人」になるわけではなく、ほとんどの人は一生「日本人」です。
「あなたは日本人ではない」などと言われた人は、非常に気を悪くなさるでしょう。
また、特別永住者の方たちが日本に帰化したからといって、すぐにアイデンティティ的に「日本人」になるわけではありません。子供のアイデンティティは数年で確立するでしょうが、大人の国民性というのは、数年では変わらないと思います。
あるアメリカ人が、国民性 Nationality というのは、Citizenship 市民権を取得した後に、長年Citizenとして暮らして始めて芽生えてくるものだ、と言っていました。
二重国籍者や帰化者にとって、ふたつ目の国民性というのは、その国の国民として暮らしているうちに、長年のうちに少しずつ自然に身についてくるものなのではないでしょうか?
日本人としてのアイデンティティを持っていないからといって、日本に代々住んでいる人たちに日本の市民としての市民権を認めないというのは、非常に排外的な考え方だと思います。
国籍やアイデンティティの問題は、本当にいろいろな立場で場合が異なります。異なった国籍の親から生まれる子供たちも多いのです。その人たちからも子供が生まれます。
ですから、単にアイデンティティの問題を国籍や民族に結びつけて考えることはかなり無理があるのではないかと思います。個人のアイデンティティは個人の立場によって複雑に異なります。個人の問題は人それぞれなので、外面的なカテゴリー分けをすることは不可能ですし、意味もありません。個人のアイデンティティは「個人が自分自身をどのように感じているか?」という面が大きいので、他人が人のアイデンティティの問題に言及することは、非常に失礼になる場合が多いと思います。
特に、国籍や民族、宗教の問題と個人のアイデンティティに関しての話題は、本人の問題であり、他人が判断できない微妙な問題だと思います。
他人のアイデンティティをめぐって議論する場合、えてして、男性に向かって「あなたは男性ではない」、「あなたは女性だ」と一方が主張し、そう言われた男性が「いや、自分は男性だ」「女性ではない」という、もともとかみ合うはずのない不毛の議論を延々と行うことになってしまいます。
たとえ外見はどのように見えようとも、その人が男性なのならば、その人は男性です。その方が男性であることを、どのように議論し、証明しようというのでしょうか?
生物学的、遺伝的な「証拠」を示さねばならないのでしょうか?
個人のアイデンティティに他人が言及し、他人のアイデンティティを一方的に判断しようとすることは、どれほど意味がないことで、どれほど失礼なことであるか、他の例に置き換えてみればよくわかると思います。
日本の国籍の問題については、
海外の日本人(日系人)で、日本人としてのアイデンティティを持っていらっしゃり、日本の国籍をアイデンティティの証明として所持したい方たち、
国内の外国人で、日本人としてのアイデンティティを持っていないけれども、(何代も日本で生活するなど)日本人と同じ能力を持っている方たちの市民権を完全に保障するという意味で、
排外的なナショナリズムに陥ることなく、母国の国籍を国民性アイデンティティの証明として持つことを容認し、なおかつ、居住国市民権を認めるという、人道的な平等の精神を重んじていただきたいと思っています。
http://www.gcnet.at
それなのに、法務省関係のお役人でさえ「外国に帰化した人はもう日本人ではありませんから、、、」などと言う人があります。
日本国籍がなくなったからといって、本人がアイデンティティ的に「外国人」になるわけではなく、ほとんどの人は一生「日本人」です。
「あなたは日本人ではない」などと言われた人は、非常に気を悪くなさるでしょう。
また、特別永住者の方たちが日本に帰化したからといって、すぐにアイデンティティ的に「日本人」になるわけではありません。子供のアイデンティティは数年で確立するでしょうが、大人の国民性というのは、数年では変わらないと思います。
あるアメリカ人が、国民性 Nationality というのは、Citizenship 市民権を取得した後に、長年Citizenとして暮らして始めて芽生えてくるものだ、と言っていました。
二重国籍者や帰化者にとって、ふたつ目の国民性というのは、その国の国民として暮らしているうちに、長年のうちに少しずつ自然に身についてくるものなのではないでしょうか?
日本人としてのアイデンティティを持っていないからといって、日本に代々住んでいる人たちに日本の市民としての市民権を認めないというのは、非常に排外的な考え方だと思います。
国籍やアイデンティティの問題は、本当にいろいろな立場で場合が異なります。異なった国籍の親から生まれる子供たちも多いのです。その人たちからも子供が生まれます。
ですから、単にアイデンティティの問題を国籍や民族に結びつけて考えることはかなり無理があるのではないかと思います。個人のアイデンティティは個人の立場によって複雑に異なります。個人の問題は人それぞれなので、外面的なカテゴリー分けをすることは不可能ですし、意味もありません。個人のアイデンティティは「個人が自分自身をどのように感じているか?」という面が大きいので、他人が人のアイデンティティの問題に言及することは、非常に失礼になる場合が多いと思います。
特に、国籍や民族、宗教の問題と個人のアイデンティティに関しての話題は、本人の問題であり、他人が判断できない微妙な問題だと思います。
他人のアイデンティティをめぐって議論する場合、えてして、男性に向かって「あなたは男性ではない」、「あなたは女性だ」と一方が主張し、そう言われた男性が「いや、自分は男性だ」「女性ではない」という、もともとかみ合うはずのない不毛の議論を延々と行うことになってしまいます。
たとえ外見はどのように見えようとも、その人が男性なのならば、その人は男性です。その方が男性であることを、どのように議論し、証明しようというのでしょうか?
生物学的、遺伝的な「証拠」を示さねばならないのでしょうか?
個人のアイデンティティに他人が言及し、他人のアイデンティティを一方的に判断しようとすることは、どれほど意味がないことで、どれほど失礼なことであるか、他の例に置き換えてみればよくわかると思います。
日本の国籍の問題については、
海外の日本人(日系人)で、日本人としてのアイデンティティを持っていらっしゃり、日本の国籍をアイデンティティの証明として所持したい方たち、
国内の外国人で、日本人としてのアイデンティティを持っていないけれども、(何代も日本で生活するなど)日本人と同じ能力を持っている方たちの市民権を完全に保障するという意味で、
排外的なナショナリズムに陥ることなく、母国の国籍を国民性アイデンティティの証明として持つことを容認し、なおかつ、居住国市民権を認めるという、人道的な平等の精神を重んじていただきたいと思っています。
http://www.gcnet.at
これは メッセージ 75897 (yuriciperle さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/75898.html