オランダの歴史4
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/30 21:28 投稿番号: [62514 / 99628]
9 第2次世界大戦と戦後 1939年、第2次世界大戦がはじまるとオランダはふたたび中立を宣言したが、40年5月10日ドイツが侵攻を開始した。14日には空爆でロッテルダムのほとんどが破壊され、15日、オランダはドイツに降伏、女王と政権はイギリスに亡命した。しかしオランダの地にはその後、連合国軍によるドイツ占領地への空爆がたびたびくわえられた。45年5月、ドイツ軍が完全に駆逐されるまで、オランダは占領下にとどまった。
大戦後の数年は、国家再建と貿易・産業の復興にむけてすさまじい努力がはらわれた。1945年オランダは国際連合の発足メンバーとなった。48年にはアメリカのマーシャル・プランを通じて経済復興がスタートした。また同年にはベルギー、フランス、イギリス、ルクセンブルクとともにブリュッセル条約を締結し、52年欧州石炭鉄鋼共同体の創立メンバーとなった。49年NATO(北大西洋条約機構)、52年欧州防衛共同体条約、55年ロンドン・パリ協定にくわわり、西ヨーロッパ相互防衛体制の一員になった。
1940年代末〜50年代初めは物価高騰と貿易不均衡の時代でもあった。政治は48年から10年間、労働党を中心とした連立政権がつづいた。この間に、東インドではインドネシアが独立を宣言し、49年、オランダ領ニューギニア(現イリアンジャヤ)をのぞき、この地域の統治権をインドネシアに正式に委譲した。オランダ領ニューギニアは62年まで支配下においた。また54年、スリナムはオランダの自治領となるが、75年、完全に独立した。
10 近年の発展 1959年にはカトリック人民党が勢力を強め、63年と67年の下院選挙では過半数を確保したが、60年代の歴代政権は不安定だった。69年にはオランダ領アンティルの反オランダの動きが政府をなやませ、暴動を鎮圧するために海兵隊が派遣された。60〜70年代とつづいたインフレも大きな政治課題のひとつだった。70年には賃金と物価が統制され、翌年には税の引き上げがおこなわれた。この年の選挙では4党連立が過半数をとれず、2カ月間の努力の末、反革命党を主力とする連立内閣が成立した。しかしこの内閣は72年にたおれ暫定内閣となり、73年5月になって労働党の党首デン・アイルが5党連立内閣の首班の座についた。
1975年スリナムが完全に独立を達成したとき、スリナムからの数十万の移民が流入し、オランダ経済を圧迫した。77年春の議会選挙でデン・アイル連立内閣は改革をめぐって分裂し、その後キリスト教民主同盟(CDA)のファン・アフトが新たに首相となった。80年にはユリアナ女王が退位し、娘のベアトリックス王女が王位を継承する。81年ファン・アフト内閣は議会で過半数をわったが、新連合を形成し、82年9月の議会選挙の後ファン・アフトは突然党首を辞任した。ルベルスが後をひきついで党首になり、同年11月新連立政権を樹立し94年までつづく。この間にアルバ島はオランダ政府と合意に達しオランダ領アンティルから分離した。
1993年オランダは、法律で安楽死を条件付きでみとめた最初の国となった。94年5月の選挙では労働党が勝利をおさめ、77年以来久々に政権についた。95年、オランダは大洪水にみまわれた。大量の雨と雪解け水のため、ヨーロッパ北西部の河川は軒並み堤防からあふれた。政府は緊急事態を宣言し、約25万人が避難した。損害と避難にかかった費用は10億ドル以上とみられている。
1998年5月におこなわれた総選挙ではひきつづき労働党が第1党を確保し、94年からつづいていた自由民主人民党、民主66との3党連立を維持して、8月、第2次ウィム・コック政権が発足した。
大戦後の数年は、国家再建と貿易・産業の復興にむけてすさまじい努力がはらわれた。1945年オランダは国際連合の発足メンバーとなった。48年にはアメリカのマーシャル・プランを通じて経済復興がスタートした。また同年にはベルギー、フランス、イギリス、ルクセンブルクとともにブリュッセル条約を締結し、52年欧州石炭鉄鋼共同体の創立メンバーとなった。49年NATO(北大西洋条約機構)、52年欧州防衛共同体条約、55年ロンドン・パリ協定にくわわり、西ヨーロッパ相互防衛体制の一員になった。
1940年代末〜50年代初めは物価高騰と貿易不均衡の時代でもあった。政治は48年から10年間、労働党を中心とした連立政権がつづいた。この間に、東インドではインドネシアが独立を宣言し、49年、オランダ領ニューギニア(現イリアンジャヤ)をのぞき、この地域の統治権をインドネシアに正式に委譲した。オランダ領ニューギニアは62年まで支配下においた。また54年、スリナムはオランダの自治領となるが、75年、完全に独立した。
10 近年の発展 1959年にはカトリック人民党が勢力を強め、63年と67年の下院選挙では過半数を確保したが、60年代の歴代政権は不安定だった。69年にはオランダ領アンティルの反オランダの動きが政府をなやませ、暴動を鎮圧するために海兵隊が派遣された。60〜70年代とつづいたインフレも大きな政治課題のひとつだった。70年には賃金と物価が統制され、翌年には税の引き上げがおこなわれた。この年の選挙では4党連立が過半数をとれず、2カ月間の努力の末、反革命党を主力とする連立内閣が成立した。しかしこの内閣は72年にたおれ暫定内閣となり、73年5月になって労働党の党首デン・アイルが5党連立内閣の首班の座についた。
1975年スリナムが完全に独立を達成したとき、スリナムからの数十万の移民が流入し、オランダ経済を圧迫した。77年春の議会選挙でデン・アイル連立内閣は改革をめぐって分裂し、その後キリスト教民主同盟(CDA)のファン・アフトが新たに首相となった。80年にはユリアナ女王が退位し、娘のベアトリックス王女が王位を継承する。81年ファン・アフト内閣は議会で過半数をわったが、新連合を形成し、82年9月の議会選挙の後ファン・アフトは突然党首を辞任した。ルベルスが後をひきついで党首になり、同年11月新連立政権を樹立し94年までつづく。この間にアルバ島はオランダ政府と合意に達しオランダ領アンティルから分離した。
1993年オランダは、法律で安楽死を条件付きでみとめた最初の国となった。94年5月の選挙では労働党が勝利をおさめ、77年以来久々に政権についた。95年、オランダは大洪水にみまわれた。大量の雨と雪解け水のため、ヨーロッパ北西部の河川は軒並み堤防からあふれた。政府は緊急事態を宣言し、約25万人が避難した。損害と避難にかかった費用は10億ドル以上とみられている。
1998年5月におこなわれた総選挙ではひきつづき労働党が第1党を確保し、94年からつづいていた自由民主人民党、民主66との3党連立を維持して、8月、第2次ウィム・コック政権が発足した。
これは メッセージ 62503 (ditgtedgbbdc さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/62514.html