人類学
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 15:23 投稿番号: [60851 / 99628]
I プロローグ
人類学 じんるいがく Anthropology 人間を生物学と人文科学、社会科学などの総合的視点から研究する学問。一般には文化人類学と自然人類学に大別される。自然人類学は、人間の生物体としての進化や、形質面での適応について研究し、文化人類学は、人間の社会生活におけるさまざまな営みに着目し、言葉や文化、習慣などについて研究する。
人類学はいろいろな文化をとおして人間を考えるという意味で、通文化的な学問といえる。かつての人類学研究は、ヨーロッパ以外の人々とその文化を研究してきたが、最近の研究は、現代文明そのものにも焦点をあてるようになってきた。人類学者は、人々の具体的な生活や活動の場に深くはいりこむフィールドワークとよばれる現地調査をおこない、そこでえられる直接の見聞を重視する。
II 人類学の歴史
古代の旅行者や歴史家も、自分たちとはちがう文化に関心をもち、その異質な文化について書物をあらわした。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、異文化の地を広く旅してまわり、それぞれの場所での生活様式をくわしく観察している。彼は現代の人類学者と同じように、その地の情報にくわしい人に直接あって話を聞きだし、家族組織や宗教行事などが文化によってことなることに、大きな関心をよせたのである。ローマ時代の歴史家タキトゥスも、後98年ごろ「ゲルマニア」をあらわし、ゲルマン民族の習慣や特徴、地理的な分布などについて記述している。
15世紀にはじまる大航海時代になると、新しい知識がふえ、思考方法にも新しい展開がみられる。新大陸アメリカやアフリカ、南アジア、太平洋の島々で「発見」されたさまざまな民族や文化は、やがて人類史についての考え方を根本から転換させていった。
チュルゴーやコンドルセなど18世紀のフランス啓蒙主義の学者たちは、長い人類進化の歩みや、文明の起源とその発展過程を理論化しようとこころみた。しかし、このような人類学的哲学は、聖書の天地創造の話とは矛盾するものであり、当時のキリスト教の立場と対立することになる。神学上の教義では、単純な文化しかもたない人々は神の恩寵(おんちょう)から見はなされて「未開」状態に堕落していった人々の生き残りであると考えられていた。
1856年、ドイツでネアンデルタール人の化石人骨がみつかり、90年代にはジャワ原人の骨が発見された。これは人類が長い進化の歴史をもつことをしめす画期的な証拠となった。19世紀には、ほかにも重要な考古学上の発見があった。たとえば、ブーシェ・ド・ペルトがパリ近郊で発見した数多くの古代の石器によって、先史時代の人類が数万年におよぶ時間をかけて文化を発展させてきたこともわかってきた。
人類学がはっきりとした学問分野として登場するのは19世紀中ごろのことである。アメリカで人類学の基礎をきずいたのは、アメリカ先住民のイロコイ同盟(→ イロコイ諸族)の研究で功績をあげたモルガンである。のちにモルガンは、文化進化についての一般理論をうちたてた。人類社会は「野蛮段階」からはじまり、植物の栽培と動物の飼育に特徴づけられる「未開段階」をへて、文字を発明する「文明段階」へと徐々に発展をとげたという理論である。ヨーロッパで人類学をおこしたのはイギリス人タイラーであり、とくに宗教の起源に着目しながら文化進化の理論をとなえた。
タイラーやモルガンをはじめとする当時の研究者は、人類の諸文化を合理性という観点からとらえている。そして、文化はどこでも同じように複雑な形態へと進化すると考えた。
人類学の応用分野での活動も19世紀にはじまる。1837年には先住民保護協会が設立され、翌38年にはパリ民族学会が発足した。これらの団体は、オーストラリア、アメリカの先住民に対する虐殺や、奴隷貿易などの非人道的な行為に反対し、ヨーロッパ人の良心にうったえる活動を展開した。
人類学 じんるいがく Anthropology 人間を生物学と人文科学、社会科学などの総合的視点から研究する学問。一般には文化人類学と自然人類学に大別される。自然人類学は、人間の生物体としての進化や、形質面での適応について研究し、文化人類学は、人間の社会生活におけるさまざまな営みに着目し、言葉や文化、習慣などについて研究する。
人類学はいろいろな文化をとおして人間を考えるという意味で、通文化的な学問といえる。かつての人類学研究は、ヨーロッパ以外の人々とその文化を研究してきたが、最近の研究は、現代文明そのものにも焦点をあてるようになってきた。人類学者は、人々の具体的な生活や活動の場に深くはいりこむフィールドワークとよばれる現地調査をおこない、そこでえられる直接の見聞を重視する。
II 人類学の歴史
古代の旅行者や歴史家も、自分たちとはちがう文化に関心をもち、その異質な文化について書物をあらわした。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、異文化の地を広く旅してまわり、それぞれの場所での生活様式をくわしく観察している。彼は現代の人類学者と同じように、その地の情報にくわしい人に直接あって話を聞きだし、家族組織や宗教行事などが文化によってことなることに、大きな関心をよせたのである。ローマ時代の歴史家タキトゥスも、後98年ごろ「ゲルマニア」をあらわし、ゲルマン民族の習慣や特徴、地理的な分布などについて記述している。
15世紀にはじまる大航海時代になると、新しい知識がふえ、思考方法にも新しい展開がみられる。新大陸アメリカやアフリカ、南アジア、太平洋の島々で「発見」されたさまざまな民族や文化は、やがて人類史についての考え方を根本から転換させていった。
チュルゴーやコンドルセなど18世紀のフランス啓蒙主義の学者たちは、長い人類進化の歩みや、文明の起源とその発展過程を理論化しようとこころみた。しかし、このような人類学的哲学は、聖書の天地創造の話とは矛盾するものであり、当時のキリスト教の立場と対立することになる。神学上の教義では、単純な文化しかもたない人々は神の恩寵(おんちょう)から見はなされて「未開」状態に堕落していった人々の生き残りであると考えられていた。
1856年、ドイツでネアンデルタール人の化石人骨がみつかり、90年代にはジャワ原人の骨が発見された。これは人類が長い進化の歴史をもつことをしめす画期的な証拠となった。19世紀には、ほかにも重要な考古学上の発見があった。たとえば、ブーシェ・ド・ペルトがパリ近郊で発見した数多くの古代の石器によって、先史時代の人類が数万年におよぶ時間をかけて文化を発展させてきたこともわかってきた。
人類学がはっきりとした学問分野として登場するのは19世紀中ごろのことである。アメリカで人類学の基礎をきずいたのは、アメリカ先住民のイロコイ同盟(→ イロコイ諸族)の研究で功績をあげたモルガンである。のちにモルガンは、文化進化についての一般理論をうちたてた。人類社会は「野蛮段階」からはじまり、植物の栽培と動物の飼育に特徴づけられる「未開段階」をへて、文字を発明する「文明段階」へと徐々に発展をとげたという理論である。ヨーロッパで人類学をおこしたのはイギリス人タイラーであり、とくに宗教の起源に着目しながら文化進化の理論をとなえた。
タイラーやモルガンをはじめとする当時の研究者は、人類の諸文化を合理性という観点からとらえている。そして、文化はどこでも同じように複雑な形態へと進化すると考えた。
人類学の応用分野での活動も19世紀にはじまる。1837年には先住民保護協会が設立され、翌38年にはパリ民族学会が発足した。これらの団体は、オーストラリア、アメリカの先住民に対する虐殺や、奴隷貿易などの非人道的な行為に反対し、ヨーロッパ人の良心にうったえる活動を展開した。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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