伊藤博文
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/25 00:17 投稿番号: [59643 / 99628]
伊藤博文
いとうひろぶみ
1841〜1909
明治期の代表的な藩閥政治家。日本に内閣制度を創設し初代総理大臣となった。
長州藩の農民の子として生まれ、父が伊藤家の養子となり武士の身分となる。吉田松陰の松下村塾でまなび、1863年(文久3)渡英。翌年四国艦隊下関砲撃計画を知り帰国、講和に力をつくす。以後、討幕運動を推進し、明治新政府の参与となる。71年(明治4)には岩倉使節団にくわわって欧米諸国を視察した。
帰国後は大久保利通をたすけて西郷隆盛らの征韓論をしりぞけ、参議兼工部卿となった。1878年に大久保が暗殺されると内務卿をつぎ、明治14年の政変で国会開設急進派の大隈重信らを政府から追放して政治の実権をにぎった。
1882年(明治15)、憲法調査のため渡欧してプロイセンの憲法や諸制度をまなび、帰国後立憲体制の制度化に着手した。84年華族令を制定、85年には太政官にかえて内閣制度を発足させ、閣僚を薩長閥でかためて初代総理大臣になった。88年には新設した枢密院の議長として憲法草案を審議して、89年の大日本帝国憲法発布を実現させ、翌年には帝国議会開設にこぎつけた。以後、1900年に立憲政友会を結成して総裁になり、01年までに4次の内閣を組織した。→ 伊藤博文内閣
1903年(明治36)、ふたたび枢密院議長。日露戦争(1904〜05)には元老として関与し、戦後韓国統監府が新設されると初代統監となった。韓国の保護国化を意図して皇帝に譲位をせまり、軍隊を解散させるなど内政干渉した。09年に統監を辞任したが、日露関係調整のため満州(中国東北部)にむかう途中、ハルピン駅頭で韓国の独立運動家安重根に射殺された。→ 韓国併合
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