古墳2
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/24 03:28 投稿番号: [59280 / 99628]
III 築造時期による特徴
出現期の古墳は、弥生時代の墳丘墓が中央埋葬施設として土坑内に木棺をおさめたり、単純な土坑墓を採用し鉄剣や玉(ぎょく)類をまれに副葬品とするだけだったのに対し、定型化した埋葬施設に鏡・玉・刀剣類の、同じく定型化したセットを副葬するようになる。墳形は前方後円形か前方後方形で規模にも地域差があり、実態は不明確な部分が多い。
つづく前期では、平野部をのぞむ台地先端部に築造されることが多く、埋葬施設も後円部中央に6〜7m台のくりぬき式木棺を長大な竪穴(たてあな)式石室におさめ、中に副葬品として鏡・玉・刀剣類などをおく。墳丘部には家・楯(たて)・蓋(きぬがさ)などの形象埴輪を、墳丘斜面には円筒埴輪をとりまくように配置した。これらの配置は古墳上でおこなわれた葬送儀礼の内容を表現するものと考えられる。
中期の古墳は、平野部に築造された応神天皇陵(誉田山:こんだやま)古墳(大阪府羽曳野市)や仁徳天皇陵古墳のような全長400mをこす超大型前方後円墳に代表される。周囲を2重3重の濠でとりかこみ、方丘部と円丘部の接続地点に造り出しがつく。埋葬施設は竪穴式石室内に重量感のある長持(ながもち)形石棺をおさめるが、比較的小型の古墳では土坑周囲を粘土でかためた粘土槨(かく)がつかわれる。副葬品は石製模造品とよばれる祭祀(さいし)用具や鉄刀・鉄剣・甲冑(かっちゅう)類、および中国大陸・朝鮮半島との活発な交流を反映する馬具・金銀製装飾品などもあらわれる。
後期の古墳は、大陸系の横穴式石室が採用される。後円部の墳丘裾(すそ)部から横穴をほりこみ、周囲を切石で構築し巨大な石室とするもので、入り口部を何回も開閉できるため時間差のある複数の石棺が同じ古墳から発見されることも多い。見瀬(みせ)丸山古墳(奈良県橿原市)では入り口部からの全長27m以上の横穴式石室が構築されていた。埋葬施設は家形石棺というもちはこびやすい石棺が流行する。副葬品は量的には減少し、須恵器のセットやわずかな玉類・金銅製装飾品・鉄製武器・馬具が出土する。この時期の古墳は全体として小型化する傾向がみられ、小規模な円墳が山丘上に何百基と群集して構築されたり、地方では軟質岩崖部に横穴をほりぬいて埋葬施設だけをつくる群集横穴墓などがあらわれる。
終末期は、歴史年代としては飛鳥・奈良時代にはいる7世紀後半から8世紀の古墳である。畿内地方のごく一部につくられた天皇やその近親者を埋葬するための小規模古墳である。彩色壁画の発見で有名な高松塚古墳(奈良県明日香村)などが代表的。
出現期の古墳は、弥生時代の墳丘墓が中央埋葬施設として土坑内に木棺をおさめたり、単純な土坑墓を採用し鉄剣や玉(ぎょく)類をまれに副葬品とするだけだったのに対し、定型化した埋葬施設に鏡・玉・刀剣類の、同じく定型化したセットを副葬するようになる。墳形は前方後円形か前方後方形で規模にも地域差があり、実態は不明確な部分が多い。
つづく前期では、平野部をのぞむ台地先端部に築造されることが多く、埋葬施設も後円部中央に6〜7m台のくりぬき式木棺を長大な竪穴(たてあな)式石室におさめ、中に副葬品として鏡・玉・刀剣類などをおく。墳丘部には家・楯(たて)・蓋(きぬがさ)などの形象埴輪を、墳丘斜面には円筒埴輪をとりまくように配置した。これらの配置は古墳上でおこなわれた葬送儀礼の内容を表現するものと考えられる。
中期の古墳は、平野部に築造された応神天皇陵(誉田山:こんだやま)古墳(大阪府羽曳野市)や仁徳天皇陵古墳のような全長400mをこす超大型前方後円墳に代表される。周囲を2重3重の濠でとりかこみ、方丘部と円丘部の接続地点に造り出しがつく。埋葬施設は竪穴式石室内に重量感のある長持(ながもち)形石棺をおさめるが、比較的小型の古墳では土坑周囲を粘土でかためた粘土槨(かく)がつかわれる。副葬品は石製模造品とよばれる祭祀(さいし)用具や鉄刀・鉄剣・甲冑(かっちゅう)類、および中国大陸・朝鮮半島との活発な交流を反映する馬具・金銀製装飾品などもあらわれる。
後期の古墳は、大陸系の横穴式石室が採用される。後円部の墳丘裾(すそ)部から横穴をほりこみ、周囲を切石で構築し巨大な石室とするもので、入り口部を何回も開閉できるため時間差のある複数の石棺が同じ古墳から発見されることも多い。見瀬(みせ)丸山古墳(奈良県橿原市)では入り口部からの全長27m以上の横穴式石室が構築されていた。埋葬施設は家形石棺というもちはこびやすい石棺が流行する。副葬品は量的には減少し、須恵器のセットやわずかな玉類・金銅製装飾品・鉄製武器・馬具が出土する。この時期の古墳は全体として小型化する傾向がみられ、小規模な円墳が山丘上に何百基と群集して構築されたり、地方では軟質岩崖部に横穴をほりぬいて埋葬施設だけをつくる群集横穴墓などがあらわれる。
終末期は、歴史年代としては飛鳥・奈良時代にはいる7世紀後半から8世紀の古墳である。畿内地方のごく一部につくられた天皇やその近親者を埋葬するための小規模古墳である。彩色壁画の発見で有名な高松塚古墳(奈良県明日香村)などが代表的。
これは メッセージ 59269 (netcitizenjp さん)への返信です.
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